アリとキリギリス メモ

○ アリとキリギリスの両者は冬を知っていたか

この二者が、何時の時点で外敵脅威としての「冬」に対する行動原則を理性的に確立し得たかは、抽象化され一般化された形式としてのこの物語の筋には明記されていない気がする。2x2の前提条件と結末の2種類の組み合わせで、結末に対して得る教訓は異なる。

○ 両者、冬の存在を知っていた場合

キリギリスは迫り来る脅威を無視しており、アリは適切に対処した。冬の時点でアリがどう考えてキリギリスを 1. 見殺しにした 2. 助けた かはキリギリスの無策をどう解釈したかというだけの瑣末な違いになるように思える

○ アリだけが冬の存在を知っていた場合

キリギリスは無知であったが必ずしも悪意があったわけではない。アリが会話経由で冬の存在を教えても教えなくてもキリギリスがそれを鵜呑みにしない可能性はありえる。

このケースでは、冬になってキリギリスが自分の無知を呪った時、アリがどう対処するかでアリの思想のありどころが教訓になり得る。過去の失敗を大目に見て将来に対する善処への期待を求めるか、あくまで無知を罰するかという視点を提供し得る。

○ キリギリスだけが冬の存在を知っていた場合

アリは見たこともない脅威に対する極めて周到な準備をしている。キリギリスは無策というより、前回の冬に別の誰かに助けてもらったため今回も誰かに助けてもらえる、といった特殊な公算を持っていた可能性がありえる。

このケースにおいては、冬にアリがキリギリスを助けると現在の社会状況の皮肉の一端をこの物語が提供するという意味で、非常に後味の悪い物語としても読める。キリギリスのような意図的な無策を善意で救ってしまう人々が現れるという、悪い意味での楽観主義への暗喩になりかねない。

一方、アリがキリギリスを見殺しにするバリエーションでは、アリがキリギリスの過去の経験を知っているかどうかといった別の点での思考が必要になるとかんがえられる。


○ どちらも冬の存在を知らなかった場合

これは不足の事態に対して過剰にも見える対策をしたアリと、敢えて通常の範囲の生活を続けたキリギリスの対比である。冬はブラック・スワンの隠喩となり、日頃の努力と言うよりは危機管理へのアリの異常な執着を評価する物語となる。

最近ではこういった極大の不測の事態への備えをどうするかという意識が強い。一方、そういった問題がなかった場合には、貯めただけ損という可能性がありえる。物語が貯蔵庫への洪水の物語なら、アリに対する評価は変わることになる。そのようなケースでは、在庫の少ない業界の強さを表すことになるかもしれない。

冬の時点でアリがキリギリスにどう対処するかも一つ異なる論点になる。想定しえなかった問題に敢えて対処したアリが、キリギリスを見殺しにするほどに自分の蓄えを外部に開放しなかったとすれば、それは何故か。キリギリスはアリに辛く当たりすぎたのかもしれないし、アリはただの守銭奴だった可能性もある

○ 補足

「知る」上での経路が書籍などの間接情報だったか経験だったかなどのバリエーションはあり得るが、単に煩雑であるためここではそういった検討は敢えて行わない。


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