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翻訳

『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』という本を読んでいる。『人間の条件』自体名著と言われるものらしいけど、パンピーにはあまりに難しい。結局解説書の類も頼ることにした。 ハンナ・アーレントはドイツ語と英語の両方で同趣旨の本を書いたそうで、しばしば『入門講義』では「ドイツ語でこう訳していて、英語でもそちらのニュアンスで読解するのが筆者の本来の意図に近かろう」みたいな説明がある。 そもそも『人間の条件』の「条件」という単語は、ドイツ語版のニュアンスで言えば「制約」により近いもののようだ。日本語で『人間の条件』とあるのは、英語でconditionを使っているからなのだが、筆者本来の意図はもう少し違ったのだと『入門講義』の筆者は言う。そして実際その方が説明上、非常に納得がいく。人間になるための云々みたいな妖怪のための本ではなくて、必須人が人として制約される所々の現象について述べてる本に読み取れるからだった。人間として制約されてしまうものがありますよね、というのを、科学ではなく、なんというか人文的・詩的に説明している。人によっては嫌がるタイプの本のはずだ。 こういう話を聞いていると、ある特定の一文の訳出の巧拙から筆者の意図を汲み取るどの段階で他国語から日本語に訳すのが良いのか、一般人や一限様には分からん、という展開にもなってくる気がする。私は特定の原著を解説する本は概ね嫌いなのだが、『人間の条件』は深い人文学的バックグラウンドがないとそもそも原著和訳の意図がつかめない。よって『入門講義』を探したのだった。あっさりした結論でよければその方が良い。比較対象の本があるべきだ、というのはその通りで、佐藤優氏は3冊嫁みたいな話をしてた気はするんだけど。 技術書籍の和訳はこれとは事情が異なるが、訳っつーのはどの段階で批判しても何か変なものは残るんじゃねーかとは思う。当然翻訳は難しいということなのだろうが、個人的には我慢するレベルに一定の閾値があるという意見には賛成する。

バック・トゥー・ザ・フューチャー

3作見た。マーティらは先月来たそうだ。 子供の頃に3作全て見ているのだが、大人になっていると印象も違うというか、細かいところで色々子供時代には気づかなかった点が面白い。単に煙の色が変わる映画じゃなかったんや!!! ちょっと単純なところだけど、個人的に面白いと思ったのは時代背景に応じて会話が変化していることと、それでいてキャラ毎に使う表現がいつも似通っていることだと思った。"Hello Hello? Anybody home!?"というビフ(一族)の定番セリフはあるのだけど、細かい点として「Heavy!?重量の話じゃないぞ」と1955年のドクが言っているのが最大のツボだった。ドク自身はいつも「その通り!」という表現にpreciselyを繰り返し使う。臆病者を表わす表現で1955, 1985では"Chiken"なのだけど、3の西部時代では使っていない、など (何を言っていたかは実は分からなかったw) その他、本当に正しいかはさておき時代毎に受け入れる文化や表現が少しずつ違うというのが登場人物の表情に現れていて面白い。文化人類学とか必要なのかはともかく、細かい部分が分かると「あーなるほど」も「それは間違いw」と突っ込むことも出来るのかもしれない。 嫁と見ていて、2と3よりも1が面白いという意見は同意だ。1の伏線の扱いというか、シナリオの作り方はもう、なんというか「すげぇ」と思うしかない丁寧な構成だった。破ったはずの手紙を「そう固いことを言うなよ」とドクが見せるシーンの(ドクの)いい加減さも含めて面白い。 2と3は良く伏線を作ってあって (例えば2についてビフで紹介される出自が3でそのまま出てくる) 面白いのだけど、やっぱり全力で作られた風味の1の面白さはずば抜けていると思う。最近見たあるハリウッド系の映画で「(´Д`)ハァ…」と思ったものがあって、比較してしまう…… 3作見ていて「これってドクがドラえもん、マーティがのび太って読み取ると似てるよね」なんて思ったりした。主人公は根本的なヘタレだし、ドクも一度恋をすると「ぽや~ん」ってなるし。主人公は射撃もうまいwww エンターテイメントとして素晴らしい作品だと思う。これでストリーミングサービスが英語字幕をサポートしてくれれば英語力アップも期待できるんだけどな