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『異文化理解力』

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『異文化理解力』 面白い本の中でも特に「これ、いい!」と思う本に出会うとドラえもんの以下のコマを思い出す。 コミュニケーションでの「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」について、文化ごとに違いがあるという話はよく言われている。この本ではその他にも、相手を評価する方法、説得する仕方、チームを率いる方法、チームでの決断のスタイルなど、様々な側面で文化の差があるとしている。 「ハイコンテクスト・ローコンテクスト」の話で分かっていたつもりになっていたが、特にヨーロッパ諸国ですら、基本的な意思疎通がこんなに難儀するものなのかと軽く衝撃を受けるとともに、説明を受けると「なるほど」と思わずにいられない。 コミュニケーションや判断についての文化ごとの差異は、異文化で構成されたチームがうまくいくか、異文化間の交渉が成功するかしないか、といった実務的なトピックに大きな影響を与える。その影響は、しばしば双方にとって見えない形で発生し、最悪の場合には「文化の差」として認識することも出来ず、単に「相手が無礼だった」とか「仕事が雑」といった誤った理解とセットで交渉が決裂してしまう。オフショア開発の文脈で良く語られているエピソードが、全く別のものとして自分の中で理解されるに至った。 でもさ、こんなの、言われなきゃ、わかんねーよ。 読んでいて個人的に気になったのは、日本人の文化についての説明だ。最近では、ここで記述されている日本人とは異なるスタイルを取り入れている人々も増えてきた気がする「飲みニケーション」は若者にはしばしば嫌がられるし、意思決定で根回しを嫌がる人々・組織も増えた印象だ。自分が話を聞くのがIT関連の業種に偏っているからだろうが、本著のアメリカのベクトルに近づけようとする動きが相対的に強い。一方でそれが良いか悪いかの検討はあまり見聞きしない。 双方の良い面を取り入れるという明確な判断・意識があって行っているのであれば、もちろん素晴らしい。一方、他の文化の要素を取り入れる際に、一見して面倒な自文化の一側面に利点があることに無自覚・無知であるのは危険かもしれない、と思った。 各文化には、歴史的バックグラウンドとして複数の特性がセットで存在するように読み取れる。アングロサクソン、ロマンス諸語、儒教ベースの文化圏では哲学・宗教に近い根本の部分の違いから

「なんでもよい」と主張する「普通の人」に「オススメ」のパソコン・スマホ

結論から言うと「欲しいという人を連れて行って選んでもらい、NGではないかをこちらが確認する」が自分の好みということになった。元々パソコンについての話題があったのだが、少し考えた限りスマホでも大差ない。 自分が選ぶ場合には嗜好というのがあってそれを想定するのだけど、それは他人にお薦めできるたぐいのものでないことが多い。音楽ストリーミングの月額課金とかそういうの。表面上全プラットフォームを謳っていてもソフトの出来が悪いなんてのもあったりする。スマホについて言えば「対応していない・実質動かない」がさらにしばしばあり得る、らしい。 「なんでも良い」という「要件」も以前よりさらに判断が難しい(以前から難しいトピックだと思うけど)。相手は、実はカメラマニアであったりする。実はPCオンラインゲーム好きだったりする。既に自宅にあるVGAのブラウン管ディスプレイを使いたいとか言い出すかもしれない。何より予算がとても少なかったりする。3万円でいいんでしょ?みたいな。 「以前から誰にでもお薦めできるというものはそうそうなかった」といえばもちろんそう。ただ15年前と比べれば、取捨する要素は相当に増えた。シンプルになったのは「CPUのスペックは以前ほど気にせんで良い」ということくらいだろうか。 脱線すると、第2世代i3ですら、そこそこのSSDに換装したら概ね滑らかに作業出来るのだった (CUIだけど)。問題はいつ壊れるかくらいだ (超大事だな!)

haltの挙動

Ubuntu 16.04 で halt を実行したときにPCの電源が切れなくて焦った。明らかにシステムは止まってるんだけど。 運悪くも Ubuntu 16.04 には停止時のバグが「ある」もしくは「あった」らしく、調べるとむしろそっちに関するトピックが盛り上がっていて混乱した。その流れでsystemctl start debug-shellなんてのを覚えたが、今回はデバッグするまでもなく、そのデバッグ用のシェルも停止する。「どうも本当にシステム停止には成功しているような……」みたいな気持ちになり、トラブルシューティングの仕方を見直した。 で、冷静に調べてみると  halt コマンドは電源を停止するコマンドではない「ことがある」 という事実を初めて知ってビビった。あくまでシステムを停止するまでがhaltの両分であって、電源を停止するかどうかは実装に依る。さらに言えば、haltコマンドの本来の意図は「緊急停止」という説明すら読んだ。ゾッ…… 自分はだいぶ昔にhaltを使うように教え込まれたか勘違いしたかで、ずっと使っていたのだが、間違いだ。明白に間違いだ。 正解は、むしろベーシックな解説ではもっとよく見る shutdown -h now、あるいはpoweroffというコマンドがあればそれ。普通にLinux入門とか呼んでいれば多分そっちで覚えるはず。 ただ……これまでは halt でも電源断してくれるLinux環境の方が多かった気がするし、緊急停止もなにも普通にシャットダウンシーケンスに突入していた気がする。むしろ使っていたLinux環境はそっちばかりだ。何故、今頃になってこんなベーシックそうなコマンドに変化が? 正確な歴史は調べていないし調べるつもりもないけど、ネット上の断片から推測した内容は以下の通り。正しい歴史 (Linux以外も含む) はもっと詳しいUnix歴史家に任せたい。 本来のhaltは緊急停止に近い意味合いで、電源も切るのは管理者の役割だった sysvinitの(それなりに新しい)実装ではrunlevelを0 (停止) か6 (再起動)にするコマンドとして実装され、この際にはshutdownやpoweroffと動作が同じになった 今はsystemdの採用が進んでいる。systemdが採用されている場合、halt, power

Python講座3回目

Python講座の3回目が決まりまして、小躍りなう。というわけで、宣伝です。 好評の講座『道具としてのPython』~最適なカリキュラムで学ぶ2日間~ 6月24日/25日に再び開催! 非常に好意的なアンケート結果を頂いておりまして、嬉しい限りです。 その中でも個人的に注目したいのが「プログラミング歴」の幅広さに関する部分。上記サイトの「受講者の声」から引用しますと: 【プログラミング歴】HTML, CSS, R, TeXを少し。 【プログラミング歴】Pythonの基礎的な部分しか分かりませんでした。 【プログラミング歴】大学時代にC言語を少々かじった程度。 【プログラミング歴】5~8年くらい。 【プログラミング歴】いつもはbash, Java, php。Erlangはある程度。 【プログラミング歴】ほぼなし。 受講生のバックグラウンドが非常に幅広いのが講師としてもチャレンジングでして、色々勉強になっています。比較的間口の広い中で好評頂いているというのは嬉しいですね。 興味をお持ちの方においては、参加ご検討頂ければ幸いです。 申し込みページ (Peatix)