知り合いの個展に行った話と、自分と芸術的なもの

外が雪で仕事が捗るかと思いきやてめぇらのTweetが非日常で面白いのでそっち見ちまいます。

それはともかく、昨日知り合いの個展的なものに行きました。普段美術に属するものは余り見ませんので、勉強になります。

そういう展覧会とか美術館に私がどういうときに行くかというと、大体こういうパターンで行きます

  • 学校の美術の授業で聞いた芸術家の中でも自分が好きな類 (e.g. 数年前渋谷あたりであったマグリット展)
  • 旅行先で他の人と (e.g. ニューヨークに出張の時にいったMoMA、あと(多分)メトロポリタン美術館)
  • 知り合いの紹介等 (e.g. 今回の個展)
1番目と2番目は往々にして「非常に有名でそれ故に現実から距離が遠い」ものが多いです。あるいはMoMAについてみれば、もちろん展示してあるもののうちいくつかは自分が所有可能なもの (Apple製品が置いてあったりしますし) なのですが、依然として鑑賞や芸術品としての評価が先に来るものです。

今回を含む上記の「3番目のカテゴリ」は、私としてはめったに触れる機会を持たないのですが、ただ、今後、パターンとしてもう少し行く方向で考えるべきかなぁとなんとなく思ったのです。

上記の個展自体はもともと芸大出身者という方々のもので比較するべきものかは微妙ではありますが、私は美術品としてではなくある種のデザイン家具であるとかデザイン小物は好きなのです。ただ一方、カジュアルにそういうところに行くかというとほぼ全く行かない。先日秋葉原近くのガード下に連れていってもらったときにも作品の質になかなか感心したものの、まだ二回目は自分で行ってません。

自分の中で「芸術」というのは所有と言うよりはフラグ立てに属するものなのがある意味障害になってるんだろうと思います。教科書であるとか、有名なものであるというのに対して、触れたその事実そのものを評価するようになる傾向です。

授業というのは感性を磨く場であると同時に、どのフラグが価値があるのかを前もって伝えるという副作用も与えてしまう。その結果、本来の美術のたぐいというのは単に楽しむものであるところ、楽しむという方向性よりフラグが優先され、そして好みという次元よりは語れる次元としてのフラグがより重視されるのです。

こういう心理があると、たとい自分の中で良いものに触れたいという感情がわずかなりあったとしても、おそらく表面にそれを出すほどの動機にはなりえなくなります。

色々とあって自分のそういう傾向が強いのは理解していたものの、上記の個展では個別作品の好き好みを越えてそういう自分の態度について再認識したのでした。

先程「デザイン家具の類に触れる機会を私はめったにもたない」という話を書きましたが、最近で非常に珍しい例外があったことも事実です。アメリカ滞在中、時間を取って少しばかりそういうのを眺める時間を作ってました (といってもCrate & Barrel とかSFのRoom & Boardというそういうレベルではあるのだけど)。あるいはサンフランシスコに行ってSF MoMAとかには普通に行ってました。

何か「暇がないと」そういうところに行かない、というのも一つの条件なのでしょう。西海岸にいたころは、確かに休日にもオフィスにいたりしたものの、本質的に楽しむコンテンツの種類の不足は感じていたようで、だから上記のようなフラグ立ての心象であっても、そこそこ発見のためだけにカジュアルな形でデザイン的なものに触れる機会を持っていた気がします。ただ、同様にそういうところへ足を向けるしきい値は高いから、ある意味ただの家具屋がその機会で選ばれているというだけで (別の言い方をすると、IKEAでないだけ喜べ)

都内に来たら、それこそ渡米前の状態と同じで、よほど何かがなければそちらに足が向くことがまたなくなりました。その欠乏状態に至ることがまるでない程度に他のやることが多いからであろうと思います。ていうかアニメ多すぎだボケ

極言すればコンテンツは不足しません。だから、欠乏しないと、という条件は尋常でない仮定です。ただ、自分が選好する順序の中で「不足しないと赴かないスペース」をなんとかしてその順序の上の方にしばしば向ける技術が求められている、という考え方もそこそこ出来るかもしれません。

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