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サボハラサボエ

地方公演等で出るほかはTVにはめったに出ないんだが改めて見た……そうか篠原ともえかww

http://biz-journal.jp/2015/07/post_10889.html

あまりに昔のイメージと違う。普通に良い演技をするタレントになっていて意味が分からん、と思っていたら色々レベルが上がっていたらしい。人の成長ってわからないものだなぁ……あと、レグの声なのね。

Wikipedia見たらホネーキンさんの声がみやけマン (椅子の応援団長)とか……やっぱり色々カオス。

蹴鞠の違和感

ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について

原則として

簡単に説明出来るものを無闇に複雑なままにしない複雑に説明しなければ誤りになるものを無闇に簡単にしない というのが大事だと思う。
業界が「簡単に説明出来る」ガイドラインを作るのを怠っていて、考察段階も含めた煩雑な資料つまり「複雑にせつめいしなければならないもの」をそのまま出している状態。資料の属性を混同してるのかなと思った。そういう意味で「蹴鞠おじさん」とは、簡略化出来るし業界のためにするべきところでしない人、ということを意味してると理解した。蹴鞠に申し訳ない気がするけどな。
こういうのと混同して「俺がわからないから業界人が悪い」という謎主張が重なるのは避けられないんだけど、辞めて欲しいとは思うし、「両者の歩み寄りが大事」というのともやっぱり違う。

自由な経済とか言うアレ

なんとなく。経済理論的にどうこう、というのはそこまで深く追求できないけど書いとく。

GDPや貿易の総量を増やしたい場合、関税等を撤廃、人の流れを自由にするのが良い。

ただ、この動きの結果として現在の世界で実際に起きたのが1%への富の集中でもあった。つまり、GDPが増えても特定の国の特定の国民層が納得するわけではない。n人いる国民に対して個々に配分された金銭・福利厚生・社会的満足度等を総合した「幸福度」xi (i=0〜n)を求めて何らかの総和を計算したら、GDP(もしくはお金の総量)は増えてもその「幸福度」はここ数年で大きく減ったと判断する事はできるんだろう。あいにく、恣意的な指標という誹りを逃れられないだろうけど。

人の流れや関税で壁を設けると、理論上GDPや貿易の総量が減り、金銭的な指標で見ると経済が停滞するか衰退する。一方、その壁によって守られる人が生まれ、そういう人は喜ぶし、上のナイーブな「幸福度」も上がる可能性がある。国内回帰を志向するのなら妥当なことであって、そこだけ切り出したら「なんだ、まともじゃん」ということにも出来る (「幸福度」の設定方法ががいい加減だからだけど、素人の肌感覚からしても、おかしいとは感じられない)。

普遍主義への挑戦というのは、どっかのテロ組織の根っこにある宗教にしろ、どっかの国の特定の人種の昔ながらの労働者層にしろ、普遍化で損をする価値観の人が許容できないほど利害が対立したときに起きる。測定基準が経済学者とリベラルが有利なものさしで出来ている中で「この基準に従って理論を構築したらお前らみたいな主張は通らねんだよ」という主張をしても、その基準で損を被った人々は絶対に納得しない。

ただ、運が悪いんだか必然なのだか、地動説と天動説について科学という視点からどちらが正しいのか判断出来るのとは違って、人文系でのこの手の主張の衝突には、科学のような「上から目線」を設定するのがとても難しい気がする。どこまでも人と人の間の物事。これを「めんどくせぇ」と思うと技術決定論・功利主義まっしぐら。

とはいえ「壁」の副作用というのはやはりあるのだろ。壁を設ければ理論の通り、一般的な経済指標では伸びしろが減る。その伸びしろの減り具合は、ダイレクトに株式の平均価格に反映される。株式市場がボラリティを越えて長期的に見れば成長する、という前提が成り立たないとマズ…

最近のドラゴンボール雑感

手短に

少し前に遡って「神と神」で鳥山明がもとの脚本をひっくり返したのが再進化の始まりだったように思える。個人的には「このシナリオは原作者以外に書いていいもんじゃない」というレベル。自分の中ではZの映画の(良くない)印象が残っている中で、ドラゴンボールという範囲で一種のカルチャーショックを感じた。「そんなことしちゃって、いいんだ……確かにいいのか……」みたいなビルス登場で事実上インフレ終結宣言がそこで発生し、「神」シリーズで正式に最上限が決まった。昔は界王様が上限という宣言があって、本当は色々矛盾があるわけだけど。結果、原作者自ら強さのヒエラルキーに飽きているところからも悟空らの上界は破壊神ビルスかウイスに抑えられてる (ウイス姉がまた桁違いに強い、ということにも結局してないし)。「神と神」のベジータ崩壊と原点である「サイヤ人の王子」設定の尊重は良い。コミック最終版では悟空にほぼ負け宣言しているシーンが(対ブウ戦で)あった気がするが、再び気高き王子になろうとしている。あいにく同じ映画でビルスがサイヤ人の常識でも古くから上界にあることが明らかになり「あるぇー」という顔になったんだけど、サイヤ人の誇りも破壊神の前にはかたなしか……なお、「復活のF」のフリーザの反応も、おなじ。破壊神上限をもとにしてもう一つ上に「戦力外、但し、消せる」設定の最上限を設定している点も地味だけど良い。フリーザを「潜在能力の塊」という再評価を与えた「復活のF」(もしくは対応するTV回)も良かった。上界がのんびり高みの見物の中で、悟空の本質的な弱さを指摘しているのも乙。(あんまり関係ないが)フリーザが「最強」枠にいた時期の連載は自分らが小学校でごっこ遊びをする時期にピタリ一致している。「絶対に許さんぞ虫けらども」とか一連のセリフは、よく使った。そのため、自分は心の何処かで今もフリーザ様ファン。アンパンマンを見てもフックブックローを見ても、どこかでフリーザ様を感じる悪しき慣性があるのだ。注: 声優そういう意味で、フリーザ様というのは、悟空に負けようがどう本編で料理されようが、どこかしらの領域で何かの頂点を張ってて欲しいのであって、未来トランクスに一刀両断される程度の存在であっては決してならない。その意味でこの「潜在能力」の追加設定は面白いし、それでいて準備期間が短すぎて結局負けるフリーザ様というのも…

『快楽の館』

篠山紀信、原美術館をヌード写真で埋め尽くす──「快楽の館」へようこそ ヌード写真展というものをほぼ見た経験がないので比較対象もないが、書いとく。

品川駅から南に歩くこと10分〜15分ほど、原美術館は住宅街にひっそり存在する現代アートの美術館。入り口の看板がなければ違和感なく住宅街に溶け込むようにも思える、そういう建物。

入館前の入口付近には下着(?)姿の女性の等身大写真があり、ここまでが撮影可能エリアで立ち入りが出来る。ある意味「リミット」も低くなっており、快楽への入り口を意識させる。

基本的に、撮った空間に隣接する形で巨大なヌード写真が飾られている (入り口付近の写真もそれに倣っている)。そのため、単に写真を写真集などで単体で見るのよりも、「その裸体がここにいた」という感覚でヌードを見ることになる。インスタレーションの一種として見るという考え方があると思う。

写真と実際の空間を交互に見ると、リアルの空間はいわば「もぬけの殻」だ。アダルトというよりも、そこから派生して生まれるモデルの「存在感」が本物の空間から抜け落ちる感覚。美術館が少し古い建物であること、現代アートのための建物であるということからか、抜け落ちる前後を対照させる建物として優れている。常設展示(というよりも単に部屋自体が展示物)になっている部屋に対してもその対比が行われ、やはり、存在感の有無をはっきり感じさせる。特に「ゼロの空間」はじわじわくる。部屋の「ゼロ感」を写真が使いきれてないという気も少しするけど。

これが単に綺麗なオフィスビルだと、どちらかというと「例のプール」に印象が近くなってしまうと思う。「現代アートの少し建付けの古い美術館が、期間限定で快楽の館になる」というストーリーが重要なのだと思う。

30人超の女性モデル。モデル名はスタッフ一覧の一部として入口付近に掲げてあったものの、自分は特に記憶していない(写真撮影が禁止の空間でもある)。知っているモデルは一人しかいない(後述)。

写真をみる限りでは、バレエを彷彿とさせる筋肉美を備えた写真もあれば、現場で見ていて「普通にAV女優な気がする」という雰囲気を醸し出しているモデルも複数人いる。後で調べてみたところ、案の定そのようだった。モデルごとの裸体の「性質」の違いがあり、写真の撮り方は一様でなく、美術館の雰囲気にも対応させ、全体的にうまくシンクす…

アレの雑感

特にTwitter以降フラットに情報を共有される時代になったなぁと思いつつ、色々眺めていると、色々な空間に見えない壁を感じる。壁に囲まれていることに気付かず、その見えない壁の外の現象に辟易しているみたいな人々の発言を見る機会も増えた。本当の問題は壁そのもので、壁を立てるのに加担したのは中の人々。でも壁自体は見えてないから、加担の事実からは事情を汲み取れない。あるいは一部、分かっていてやっている節もある。見えないものはないもの。未知の未知を捉えるのは難しい。

マイナスサムだと、人は虚勢からの勝ち枠ゲットが大事と認識するようだ。勝ち枠が大事で全体のコントロールは不可能と見る。ま、プラスサム時代にもコントロールできていたわけではなく、文字どおり人はお立ち台で踊っていただけだった気もする。そういう意味では9割の人は乗らされているだけとも読める。残り1割のうち9割は分かっていて選択して、波に乗る。最後の人だけで戦うのは……辛かろ。

何書いてんだか分からなくなってきたから止め。

『さよなら絶望先生』

今更ながら全巻読破した。

どうしても時事ネタは古さを感じるものもあるので、その点も間引く必要はあるかも。総理の交代とか震災に絡んだものとかもそう。とはいえ思い出しつつ読める範囲。「あー、そのタイミングでジムノペディ」みたいな逆の発見になる ※

※ 知らなかったのだが「消失」で3番まで使ったんだとか。ジムノペディは最近『らららクラシック』でやってたし、名曲。

この手のコメディ漫画を一気読みするのは想像以上に精神にクるものがある。正直、当初目的であれば本当に最終話周辺だけで良かった。(30巻エンドに対して)26・27巻あたりから伏線の巻取りを少しずつ進めてる感じなので、1〜5巻、23巻〜30巻とかでも十分だったかも。7年の厚みは実際に7年歳月とともに読みながら年取らないと分からんところあると思う。

しょーもないダジャレの蓄積という意味ではお見事としか言いようないんだけど……良く考えるなぁ。

いないはずのキャラがいる、という話にデジャブあるなと思ったら出来の悪い推理モノだった。絶望先生の方が相応にブラックで綺麗な巻取りかなぁと思う。コメディに対して少し黒すぎる感はあるんだけどな。

今なら「絶望した!選挙結果に絶望した!」ということで色々出てくるはずだ。都、イギリス、フィリピン、そ・し・て「切り札」。すごい、ネタでいっぱいだ。