ゲームを勧めるのも修羅であるこの世の中

「一緒にやろうよ」という話で人にゲームを勧めたり勧められたりする。現代ではオンライン全盛で、確かに一緒に出来てしまったりする。

しかししかし、20年ほど前に「レーサーミニ四駆ジャパンカップ」の4人プレイで年上の子供に泣かされて以来、一緒にやるゲームというのは「何がしたいか」の微妙なズレから諍いが発生しやすいのだ、と私は何度も認識させられてきた。今現代、非常に簡単にオンラインマッチングが出来、友人からオンラインゲームを勧められてクランに登録出来、結果としてそういう瑣末な差がチャットの論争に発展し、最後には「知り合いに勧められるゲームほど注意深く吟味しなければならない」という謎の法則が生まれつつある。

私はDDRをよくやるという話はここを読む人なら知ってるかもしれない。ただ、あんまり人を誘ったりしない。理由は簡単で、今誘ってやらせても何かものすごい悪臭漂う世界観が再現されるだろうから、なんであった。洗い忘れたスパッツも、それはそれで悪臭漂うんだけど。

私がその界隈でゲームを初めて以来、この辺りのゲームはただ黙って寄ってくる人々の寄合所帯が最も安全で、無理やり知り合いを誘うと、どこかで相手の本気の「嫌悪感」を誘うもののようだ。

かく言う私もDDRには良い思い出より悪い思い出のほうが多く、今やっているのは腐れ縁であり、悪い思い出も振り返れば笑って許せる程度のものだよね、とそういう流れでやっているくらいである。ここに新しい参加者をぶちこんで同じ歴史を繰り返しても恨みを買われても仕方がない。相手は私がDDRの現実をしるはるか前、IF YOUR WERE HERE BASICで「わーたのしい」という世界であのゲームを見てる。私が見てるのは「物理難」に立ち向かってやられてきた10年近い敗退の経験である。

私が出来るのは、一緒にやってくれる人に、全力で死んでもらい、せめて同じ酷い世界に来るのなら覚悟してくれ、もしそうなら助けるから、とメッセージを送るだけなのだった。それは言ってみれば、「運動得意なんだよ」と遊びでじゃれてくる佐祐理さんに対して本気の太刀で空気読まず反撃するKanonの舞のような心境でやるんである。

# 物理難 ... 「物理的に無理じゃね?」という上級系プレイヤーの悲鳴。しかしオリンピック選手並みにやってるわけないのだから、その言葉を吐くのは10年早い。たった10年しか早くない。……いやぁこれの10年弱後がこれなんだから、あながち筋違いでもないと思うよ。

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