黒川塾 九 雑感

黒川塾 九 「Unityによるゲームの民主化は共産化か・・・?!」

最近適当に眺めていたイベントの中でも格段に面白い部類だったと思う。

以下、イベントで話されていたことに対する自分なりのまとめ (ダイジェスト = digest = 消化) と、雑感を書いとく。

○ Unity によってプラットフォームよりもソフト自体の力が上がった

総本山Unityサイドの大前氏による、Unity謳歌の典型的な説明っぽいもの。要は「やりたいレイヤに注力できますよ」ということ。

元隊長(山本)氏はそれに対して「開発全体を統合する視点がないまま『アジャイル』で開発しきれると勘違いした結果大炎上するケースがUnityで大量発生している」といった点を指摘。Unite Japanの発表と同じコンセプトと思われる。

○ 大きなものを作る土壌が痩せている、という認識

ツールが進化した結果、そのツール以外での開発が出来ない受動的開発者が現れることがある。Visual Studio界隈には前から存在しており、今回のイベントでも、清水氏「そんな人いるんですかね」元隊長氏「いるんですよ」清水氏「まじですか」という応答があった。

Unityにおいては元隊長氏が"Unity Slave"という表現を多用。開発者としてプラットフォームに縛られた人々のことだ。Unityの表現力自体は十分高いため、他のプラットフォームを学ぶ機会を必要とせず、結果、それ以外の環境では一切作業が出来ない状態に陥るという。

むしろ積極的に縛られにいく人もいるらしい・いるのかもしれない。会場ではUnreal Engineの件で、そういう人が (アジア方面?) でいたという話があった気がする。Unity についても似た態度の人はいるだろうと予想できる。プラットフォームが一夜にして古いものになりかねない時代、これは個人ばかりでなく会社や社会としてもリスクになる。

# 購入したツールについて「Unityのせいで意味なくなったジャーン。原価償却終わってないのにサー」というネタが披露されていた。ウン百万というツールを無料枠で殺せる力強さをUnityが持っている象徴でもある。

また、Unityのように一人で完結した範囲では良い物が作れるツールせっとにおいては「小粒」なゲームはできやすいがその結果大型のゲーム開発にはむしろ悪影響があるのではないか、というのが元隊長から提起された別の疑念であったようだ。

大前氏の「プログラマよりデザイナにゲーム作らせた方が面白いものが出来る」といった表現は、この軸に収めると理解しやすい。デザイナが自分一人で届く範囲が広まったため、小粒で良いゲームが出来るようになっている。だが、その枠を離れた空間に対して当てはめられると信じてしまうと、プロジェクトは「大炎上」する……そういう構図を元隊長が見ていた気がする。

「小粒なゲーム」は昔からすれば間違いなく大粒にも見える一方、他のツール群やその背後の技術的基礎を理解していないで使ってしまっているという面においては"Unity Slave"そのものなのだった。

○ プログラムはそもそも世の中を支配するツール

清水氏 (とゆーかUEI) はプログラムの語源からさかのぼり、宗教儀式や軍隊訓練の「プログラム」というコンテクストと現代の「プログラム」という用語の一致から、それらが共通して「世の中を支配するツール」である、という共通項を抽出、その「世の中を支配するツール」を次世代の若者に知らせるためのプロジェクトとしての氏の会社やそのプロダクト enchant.js 等の取り組みを紹介した。ちなみにこのセクションはどう見ても宣伝であった。

○ Unity の提示する「民主化」は「官僚型社会主義」

清水氏については、宣伝自体よりはツッコミの方が的確だった印象である。Unityサイドの「ゲームの民主化」という提案を「官僚型社会主義」と反論する。

理由の一部はツールセット全体がオープンソースでないこと。つまり、何かの掛け違いでUnityの母体としての基本哲学が独裁方向に動いた時、反乱の手段がない、と言っているように思えたMySQLがとある悪に買収されたとき、MariaDBというカウンターパートが生まれるにはGPLでソースが公開されていることが必須だった。いわゆる「自由ソフトウェア」という思想の典型と見て良い。[宣伝]UEIで清水氏が作っているツールがオープンソースである理由の一つはクビになっても使いたい、といった要望で、根底が似ているとのことだ[宣伝おわり]。

清水氏は、かつてVisual Studioをプッシュする役割を負っていた過去があり、そのことについて 「後ろめたい気持ち」があるとのこと。上記の"Slave"を生み出した側、ということにたいする後ろめたさ、だろう。

Visual Studioに束縛された技術者について言えば、では今後Windowsが10年後あたりになくなった場合、束縛された狀態を開放する救済者が出るか、という話でもあるのだろう。オープンソースではない上無闇に汚いAPIと評判のWindows系を引き継げる狀態には現状なく「VSどれー」はどこにいく、という風情。これをUnityで起こされると恐ろしいわけだ。

清水氏の理解において (多分正しいんだけど)、HTML5は初めてソフトの全レイヤがオープンソースで提供された例であり、これに対する掛金は上げて良い、らしい。

これに対する Unity大前氏の反論は、オープンソース化されているが、結局独裁化されているプロジェクトというのも、無視できないレベルで跋扈しており、それらとオープンソースされていない環境に(潜在的に起こる結果の上では)大差はない、というもの。例として上がったHTML5について言えば、相当量のコミットはGoogleのエンジニアによってなされ、方向性もほぼGoogleによって支配されている。オープンソースであることのメリットは言うほど享受できないだろう、といったところだろう。

会場では他にも、とある会社が実際に「みんなが使えるツール」会社を買収してみんなが使えなくして悪評を得たという例も挙がった。ゲーム業界にしろIT業界にしろ、このあたりの危惧感は「夢想上の危機」を元にしたものでは全くない。

(Unityが悪の道に落ちたらどーすんだぜ? という流れについて)、大前氏の反論としては、Unityの母体は一度キャッシュフロー的に非常に厳しい時期を経験しているため、少なくともキャッシュの面での危機から企業買収に弱くなる可能性は低いことを指摘していた。思想上のやんちゃ (創業者がふと心を濁らせて方針転換する、等) については、特に反論はなかったように思える。どこかで信じることは必要だ。

○ FF13を世の中に生み出す結論を出したスクエニの判断がターニングポイントである可能性

ゲームを作りやすくなった、といったコンテクストにおいて、何故かFF13 (在庫ニング) が話題になった。

# このゲームはRPGすなわち「レールプレイングゲーム」と呼ばれる一本道展開が不評であり、これゲームかよ、という批判が多かった印象が個人的 (筆者的)にある。今回のイベントでもこの理解を下敷きに置いておそらく問題ない

アレほどのゲーム開発母体が、あのゲームを作った事自体について、清水氏は(ゲームはつまらないけど)肯定的とする。つまり、開発シーンの重大な変化をFF13が示していた、ということだろう。最高に否定的なのがゲーム好きを自称する元隊長氏。あれはないだろう、というブログと同様のコメントとした。おそらく清水氏だが、誰かが「あれを『単につまらない』で片付けるゲーム開発者であってはならない。どういう背景事情かは理解するひつようがある」と言っていたように思える。

Unityにかぎらずゲームツールの反乱で小粒でそれなり、しかし大粒のゲームが何を示すべきかの方向性を見えずらくはしている。そういう中でのFF13、と清水氏は主張していたような気がする。

○ 小粒なゲームの氾濫はゲーム自体の良し悪しで評価されない "Attention Economy"

良いゲームとして私達が評価するゲームは「良い」から選んだのか、「たまたま目に入ったのが良さげだったのでやってみた惰性でやっているのか」という話と考えられる。マーケティングにうまく誘導され、気づくとやっているような感じだろうか。

確かに、宣伝広告費としてお金を使ってAppleストアのランキングを一時的にスパミーに底上げするということは行われているそうだ (今回の発表外で私が聞いた話)。すると、「一定」以上のクオリティのどれが自分の食卓に上るかは、ゲームの良し悪しではなく単純に営業マンが来るかどうか、という別の要因によって決まることになる。ゲーム好きとしてこれが許せない、というケースは確かにある気はする

● 感想

あくまで外野に寄る「思想」的な変遷として、時代全体としては

清水氏 -> 大前氏 -> 元隊長氏

という変化をたどっているような気がしている。

Smalltalk的な試みが清水氏の派閥によってまたなされ、プログラムを書く行為にそれ自体の優位性を主張しずらくなるのが第一フェーズ (enchant.jsの指向性が近い)。次にコンテンツ勝負の世界観を誰かが体現するのが第二フェーズ (Unity)。この二つで旧来のプログラミング観・ゲーム観を愛したゲーマ・プログラマが、何故かデザイナ・マーケタ・広告屋にフィールドを決定的に取られたことに対して、最後に「そもそも俺らは何をしたかったかね」と振り返る (元隊長氏)。

enchant.js と Unity の共通項は「ツールを提供すれば、ツールが覆い隠す背後の醜悪さを支える人材は細る」というある種の懸念に楽観的なこと、と私は解釈している。Unityなどで作れない複雑度のゲームを、じゃぁ後で大規模化、あるいは技術の低レイヤー化で対応しようと思った際、元隊長氏のような高度から采配する人にとっては「まて、人がいないぞ」となり、現場感からすると「NUMAってなんだ」になるような気がした。

# この話は別の分野でも起きているような印象がある。AWSやGAEが氾濫した後、日本のインフラ業でほそぼそとしたツールセットを使いこなせる人材は育つんだろうか。

# ちなみに勘違いされそうだが、上の「->」は上下関係も優位性も意味しない。儲かるレイヤ、正当性のレイヤとしてはどれも大体重要性と正当性と哲学がある。上の図の清水氏が今占めているポジションには、最終的にはラガードを引っ張るお役所の役人が入るんだろう。国民全プログラマ化計画 (これもプログラム)、みたいな。

……というのが観客としての視点。一応私もプレイヤーとしてどこに手を打つか、という視点を作っておく必要があるのだが、その点については書けるほどのネタがない。

追記: (2013-05-21 10:11)
追記: (2013-05-21 11:24)

"Unity Slave"の項で受動的に縛られる人と能動的に縛られる人の対比を強調するために文面変更。


Unity大前氏のUnityプレゼンは宣伝行為に感じられずenchant.jsの界隈が総じて宣伝行為に結びつく感じが個人的に「なんで?」と疑問に思った。確かにそう感じるんだけど、ぶっちゃけなんなんだろうね。Unityが主役の会という前提で私は実は見てなかったのに、この「宣伝」感がナチュラルに沸く感じ。本人は(上記の通り)不服だったんだろうけど、率直に言うと黒川さんのコメント通りの感想を見てる人は抱いたんだ。

追記: (2013-05-21 11:39)
追記: (2013-05-21 14:06)

黒川氏がアンケート結果を公開している






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