人生ハードすぎですねみたいな話

昨日いろいろ悩み抱える社会人複数によるトークイベント (飲み会) に参加してきました。最後まで口から出なかった以下のめーげんが後になってから発掘されたのでした。
Life is far too important a thing ever to talk seriously about it.
ニュース見ますとエボラ出血熱の問題で(๑´╹‸╹`๑)って顔になったり、一方国内見るとしょもない話が蔓延してたりしてやっぱり(๑´╹‸╹`๑)って顔になったりします。

いわゆる「人生の深淵を見た」的な話は真面目に考えるとヤバイという話はたしかにあります。

どうでも良い例ですが、深夜帰りがけに自分だけ職質されると何かいやーな気分になりませんか。いきつくところ「そうか俺は不審者に見えるのか」という謎の見解から、ついにはうつ病に発展しかねません。

そういう気分になりませんか。え、職質されたことがない?

あまりに酷い冗談ですが、重かろうが軽かろうがある特定の事象を大真面目に捉えてしまうと何でも深刻な話になりえます。

「サーバ止まってるぞー」という知り合いの連絡で自分の開発力のなさを憂いて病院まっしぐら、とか、馬鹿みたいに見えますが、しかし真面目に考えるってつまるところそういう偏執的なところがあるんだと思います。

ユーザから見えないハードウェア部分にまで美学を追求するんだ!

どこまで真面目に考えるべきか、について自分は真面目に考えたいと思いますが、それがある程度決まっている状態であるばあい、そのしきいの向こう側はもう無視するのでもいい気はします。

放置するべきでないところを真剣に考えることでしょう。

上記トークイベント (飲み会) でも出てたんですが、20年後に間違いなく発生する事態を想定するのはマジで重要だと思います。しかし今真面目に考えるべきなのは、それが起きた時ではなく起きるまでの20年でどこに自分の動かせるコマを進めておくか、なんだと思います。

ある土地に住んでいて洪水が来るという確度の高い情報がきたとします。おれんち水没するわ。

どっか特定の丘を攻める作戦を立てるのも良いですが、個人的には「ああ、洪水が届かない丘が何箇所かあるはずなので、そこを複数調べとこ」という軽さで考えるべきという気がします。それ以上は真面目に考えなくても、複数あってどっかにいれば大丈夫、という軽さは重要だと思います。洪水が来ること、それで人が死ぬことについてマジに考えるとそれだけで精神がやられる可能性大です。洪水が届かない丘に先に自分がいて、知り合いにおいでおいでを「出来る」という可能性には希望があるはずです。やべーと思うのは「洪水なんてないさ」って言い放つ人です。

とりあえず丘見つかってから哲学に思いふけるのでいいと思います。それを達成するための武器と思考と哲学が先に必要です。自分のケースではこれが足りないので、洪水そのものを考えている余裕がありません。けてすた。

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