この前の電王戦と少し前の対談録画見た話

少し前の羽生とカスパロフの対談番組を見てなかったので見た。

対談前に羽生とカスパロフがチェスで対戦をした。その対戦の中の一戦で、カスパロフは定石ではない手を打つことで羽生を撹乱する (「力技」の展開と解説されていた気がする)。羽生にとってチェスはネイティブ言語ではないから、この手の撹乱で戦闘能力は大きく削られるだろう。事実この一戦でカスパロフは一勝するしその後の試合でもカスパロフが勝っていたようだ。この時の試合で話題になりやすいのは二戦目だと思うが、今見た時に注目したくなるのは先日の電王戦との絡みで一戦目かもしれない。

この番組の本番はもちろん対談だ。カスパロフの日本語音声が玄田哲章氏である点に違和感は感じつつ、対談は非凡な二人の比較的普通の会話だった気がする。

人工知能の将来についてカスパロフは楽観的で「4:6という状況で4が大事だと考えられるのが人間」とする。個人的には少し食い足りない説明な気がしたが、発展させていくべき議論としては正しい気がした。もし一回の決断をするならコンピュータは6側を選ぶしかないだろうが、人間は評価関数の外から4を選ぶ重要性を認識できるかもしれない。

話は全く変わるが「資本主義の根本的な問題」という視点で、マルクス『資本論』に目をつける向きがあるようだ (ピケティ『21世紀の資本論』ではなく)。佐藤優氏はいくつかの本で「労働の商品化そのものが1つのイデオロギーであり、当たり前の話と捉えてはまずい」と書かれていた。

氏の解説は概ね学者的で高度であり、一二冊齧った私 (それも『資本論』本体は読めてない!)がどうこう言えるものではないが、この種のイデオロギーをひっくり返すのにコンピュータは使えないだろうと。上の対談を見ている時にぼんやりと頭に浮かんだ。

資本の「運動」が当たり前としてプログラムされたら、4:6の6には資本主義が入るだろう (比率は1:9かもしれないんだけど)。ここで、コンピュータは敢えて4を選べるか。私はこの手の社会的議題には疎いのでこれ以上墓穴を掘るのはやめておくけれど、4を選ぶというのはある意味そういうことなのだと思う。コンピュータは幸か不幸か、人が「4だ」と言うとついてこざるを得ない。ひとつでじゅうぶんですよ

ただ、今の人類は4:6で嬉々として6を選ぶので、コンピュータに負ける未来は目に見えてしまう。



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