すでに東京に戻ってきているのですよ

瑣末なことながら備忘録代わりに。

子どもが生まれた後、少しの間群馬の実家に世話になった。このとき一時的に東京を離れる旨、周りの人にも伝えていた。

その間、仕事の密度こそ減らしていたものの、時々は東京に来ていた。大体は人に会うためだ。会った時にも、少しの間群馬にいる旨話していた気がする。時期ははっきり言わなかった。いつ帰るかは子育てがどの程度首尾よく出来るかで判断したかったからだ。

1ヶ月後、赤ちゃんの一ヶ月検診が無事に終わり、実家の世話になる必要はないように思われた。その他含め、東京に戻っても大丈夫だろうという話し合いをし、群馬から東京へ戻ってきた。以降概ね東京にいる。

自分としてはここで一旦は「群馬滞在」の話は終わったものだと思っていたが、そうではなかった。その後今に至るまでの1〜2ヶ月の間、「また群馬に帰るのですか?」とか「いつ東京に戻ってくるのですか?」と問われることが何度かあったのだ。

友人間の会話であれば、単なる雑談の範囲なので大げさに考える必要はないと思う。ただ、対外的な仕事も関係するような会話の中でこの話題を聞かれると、自分としては「あっ」と思う。自分の仕事体制を周囲に通知するのを怠っていたことを意味している。

瑣末とは言え、この手の話は仕事人としては立派な減点要素になる。従業員のような勤務形態ではなく、仕事を別組織からもらうといったことも一般的な身としては、この程度の言ってみれば「くだらない」混乱で、相手を意味もなく惑わすのはよろしくない。避けられない混乱要素は山のようにあるのだ。

通知していなかっただろうか、と思い考えてみる。例えば次のようなものが思い浮かぶ。

  • ソーシャルサイトで「行った」「帰った」は書いた「気がする」。ただし「帰った」は様子見が挟まったので多分明示的に書いていない。
    • またFacebookでは頻繁にアップデートをするが、Twitterで身の上の行動はほぼ書いていない
  • 口頭で言ったり言わなかったりした
  • 明示的に個別メールは滞在場所についての情報を基本的に送っていない

ここで、問合せてくれた人が個別にどの情報から「群馬にまだいるかも」と解釈したかが分からなくなった。というのも

  • 群馬に帰った件はソーシャル系と口頭でのみ行われている
  • 聞いてくる人はソーシャル経由で両方見れてもおかしくない。また、戻ってきてからのアップデートのほうが、投稿数はずっと多い
  • 口頭で話す人は普通ソーシャルサイト以上に高頻度でこの手の会話をしているはず
いくつかグダグダ書いたが、クリアに帰る日付を明示して周知してないのがまず問題なんだろうとは思う。周知パターンにリズムがないと、相手も自分も状況は理解しづらい。

前職で勤めている場合にこの手の話を意識したことはなかったなぁとふと思ったが、ああでも、前職時代には結婚すらしてねーわ。


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