成功と失敗の境界

紺珠伝Extraのルナティックインパクトに手を焼いています。

隣のおじさん-大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して)

まず、とにかく、おめでとうございます。

「基礎研究の重要さ」を訴える研究者について、NHKでのオートファジーの紹介が、ことごとくその応用面での期待に偏っていたことに問題の根深さを感じました。私個人としてはオートファジーとオプジーボすら混同する有様なので、イマイチさがはんぱないです。あまり、こういった科学的なお話を出来ないのです。サイエンスZEROは好きです。

応用にばっかり焦点が当たっている、という主張に大いに共感するとともに、失敗に関する論文数が少ない、という主張を全く別の機会に読んだことがある、という話を何故か思い出しました。理由は、特に分かりません。

ある意味、当然といえば当然ですが、失敗した先に道がないというのを示す論文も相応に大事じゃねーの、何ていう話です。もちろん、人々が重きを置くのは成功したことに関する論文でしょうけれども。

以降はさらに話が離れ、研究というよりは単に上の話から連想した成功・失敗に関する雑感です。

失敗してむしろ「賞賛」されるというのは少しおかしいと思いますし、ある程度失敗した人はそのマイナスを受け止めなければならないのは当然と思います。一方同時に、失敗の蓄積から成功の道が生まれる、なんていうこともありますし、ある種のごくごく基本的な失敗をした人が、後で大きく賞賛されるレベルで成長したり、大きな成果を挙げたという例もある気がします。研究室の学生が操作をミスったことが発見に繋がったとき、学生を厳しくとっちめるのはちょっとなんだかなぁ、と素朴な感情としては思います。

今世の中を席巻しているある会社について私が好きなエピソードは(今となっては真偽を確かめられないのですが)、その人々が最初会社を始めた頃、売掛金を知らなかったというものです。その方々が作った会社は「業界の動向 2016」みたいな冊子に堂々と名前が載る著名企業の一角となりました。

失敗した際に「外側」がどう対応するかは難しいと、最近改めて思います。私自身も失敗しておりますが、「正価」を越える罰を受けるのは不公平という気がしますので、嫌いです。とはいえややマゾ気質ですので受け止めるときは受け止めます。

私は自分に対して不合理が起こるのも当然好きではありませんが、他人が失敗したときに「正価」を越える罰がその人に与えられているのを見るのが、ずっと、嫌いです。何かを失敗したとき、既にその人の中にはマイナスが生まれているので、まずはマイナスをどう中立的な位置に戻して本人の挙動を正常化するかに意識を向けるべきなのではないか、と思うことがあります。もちろん容赦のない罰を与えねばならない犯罪のごときものを許せと言っているわけではありません。しかし、ミスはミスとして、そのミスを雪だるま様に膨らませてその人を攻撃する材料にするのは、どうにも許容出来ません。

『いつも「時間がない」あなたに』という本があります。本来は「欠乏」に関する書籍で、時間だけでなく、お金の欠乏状態といった人の「欠乏」に関する心理学が生き生きと描かれています。

本著での面白い指摘のひとつが、すごくざっくり言えば「判断力が低いから貧乏になるってきまったわけじゃないんだよ。貧乏になってから判断力が低くなって、負のループが始まるのだよ」という主張です。

何かに気を取られる (例えば、資金繰りに困る) と、知能指数自体が大きいときは10以上、下がるそうです。カツカツの農家の人に収穫期の前後で知能指数を測定すると、例えばそういう結果が出てくるそうです。判断力低下の結果が、さらに貧乏をループさせるというケースが観測されるそうです。ちなみにお腹が空いていると、アルファベットの無意味な列などからCAKEなどの単語を拾う能力が逆に格段にあがるそうです。不釣り合いな取引が生まれてしまうのです。

どのような人でも何か良くない事態に遭遇するならばこの「知能指数の低下」が起こり得る、ならば、それを見越したバッファを自分で用意するか、社会が支えるか、というのが自然です。前者は保険でしょうか。後者は社会保障か、はてまた人的「安全保障」でしょうか。知りませんが、下がり調子のときに、さらに蹴りつけるのはやや不合理というケースも多々あることが研究から伺えるということです。

失敗した人は何かに欠乏しはじめていることがあります。そこからさらに即座に、何かを奪うのは、ときとして必要であってもまずは慎重になるべきなのかもしれません。特に必要でもないのに奪うのは感心しません。

最も奪ってほしくないのが、人間としての尊厳にあたる部分。失敗は失敗ですから「失敗したねぇ」というコメントは、まぁありかもしれません。しかし、著名人が非力な同業者の失敗言動を堂々と公開処刑する姿を最近見て、大変な身震いをしました。その業界で失敗の累積から学びを得る人に悪い影響はないのでしょうか。おそらく氏にはそういう配慮は無縁なのだとは思います。勝ち上がるものが勝ち上がるという世界観の方という印象。砂漠の真っ只中にはいませんが、私は確かに、現代においてリアルタイムに、マッドマックスの世界にいるのだと感じました。

そしてそういう考えの方が著名であるならば、私たちは選んでマッドマックスの世界にいます。あの映画の興行収入が良くなる理由も頷けます。

上の一連の文書には特定の意図はありません。頭が死んでるのでそのまま浮いてきたものを書いただけです。



このブログの人気の投稿

WiiUのコントローラが通信不良に陥った話

LibreOfficeで表紙、目次、本体でフッターのページ番号のスタイルを変える

技術書典2 あ-03 『もわねっとのPythonの本』