戦略コンサルの言う「プロの仕事」のプロらしくなさ

 どうも戦略コンサルの人というのはこういう口ぶりをすることが多い。「プロ対プロのしごとなのだから、同僚としてプロのしごとをして欲しい」

ところでLED電球の動画を見ていた。一方は有名電機メーカーのものであり、もう一方は安売りショップの製品であった。

どちらもプロの仕事ではある。ただし一方は高い、一方は安い。違いを技術的に述べることは私には難しいが、端的な特徴として、高い方は色再現性も高く、ノイズが少ない。一方はその逆で、その分安い。光量はどうだろうか、実は安いほうが光量は多かったそうだ。これはLEDの品質ではなく、それを遮る表面のガラスの厚さによっていた。

単純に「プロの仕事」である。100Vの交流電源に直接繋げられる製品にプロの仕事は有りえない。しかし特徴は異なる。

戦略コンサルの人の「プロ」仕草には次のような雑さがある:明るければ良い。

現実に重要なのはしばしばその要件以外のところにある。むしろ明るさだけをプロの度合いで考えるなら、安いほうが良いという話に直結しかねない。

今回の2つの異なる「プロの仕事」で最も分かりづらい違いは「ノイズ」だろう。片方は、明るさのような分かりやすい部分については文句がないかもしれないが、使っていてたまに「他の機器の調子が悪くなる」可能性がある。人体に危険はないだろうが、しかし、外部に影響がないことまでは保証の範囲外だ。それは「プロの仕事」の範囲ではない……これが安売りショップ側の態度である。安さとの一貫性において許容できる「プロ」さだと、私は思う。

このような「プロ」の仕事を利用するもう片側のプロは、このような見えづらい事象・違いをきちんと取り扱えるだろうか。ケースバイケースではあるが、概ね観測する限りでは、鈍感であることが多いように思える。肝心なのは鈍感なことがあること、ではなく、鈍感になりえることについて無知・無恥なことだ。これは、恐ろしいほどプロに見えない。

しかし、表層的な語り口の中で問題になることはない。ノイズで困るのはその仕事が終わったもう少しあと、しかも別のプロのしごとの文脈で、だ。相手にプロ意識を要求しつつ、いびつなプロ観を持ち続けていて羞恥がない。

そもそも、明確な合意がない限り、「プロ」という言葉には合意ある定義がない。なんとなく気分で表現しているだけだ、ISOもJISも通過してない。自分もプロ、相手もプロという表現はかっこよいが未定義語の嵐だ。「未定義のしごとをして欲しい」と言っている。

それを言えば、もちろん、多くのソフトウェア開発者も規格に基づいていないので「プロ」らしからないときはある。

ソフトウェア開発者側に違いがあるとすれば「プロ対プロ」などという話で煙に巻いたりはしないということかもしれない。というより、普通の仕事人というのはこういう語り口をしてこない印象がある。もう少し慎重なのだ。言葉遊びのプロ。むしろ、この「プロ対プロ」の表現で最後に残されて「プロ」「らしい」「本当の」仕事に到達する可能性は「デリバリ」側たるソフトウェア開発者側になりがちだ。言葉遊びと逃げ足の速さのプロである。


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