『戦場のピアニスト』と『シュピルマンの時計』

適当に選ぶと戦争ものになる症候群。

『戦場のピアニスト』は第二次世界大戦時のポーランドで実際にナチスに殺されそうになったが生き残った実在するピアニスト、シュピルマンの話。『シュピルマンの時計』はそのピアニストを父にもって日本で活躍するスピルマン (苗字は同じだが活動してるときの苗字と映画の訳がズレてるためこうなる)による回想録。

誰もがそうだと思うのだけど、映画で気になったのが、後半でシュピルマンを助け、一方自分は獄中で死んだ、ドイツ人将校ホーゼンフェルト大尉のくだりだ。『戦場のピアニスト』ではあたかもシュピルマンが将校を見殺しにしたようにも見える突き放したエンドにも見えないことはなく、消化不良になる。その辺り、映画のクライマックスの真意を知りたくて『シュピルマンの時計』を読んだ。

正確には特にドイツ人将校のくだりだけ読んだ。同書はスピルマンの回想録であって『戦場のピアニスト』をすごく意識している一方あまり関係ない話も多い。スピルマン自身もまた著名な研究者であるため、それ自体はおかしなことではないが自分はそこには興味が無い。

そもそもホーゼンフェルトはナチス党員ではなく国軍で、もともと人道的活動に厚いドイツ人だったという。そして劇中でシュピルマンに声をかけるときから迫害対象のユダヤ人であるとわかっていても敬語を使っていて、劇中で終始冷酷に扱われるドイツ軍の中でも異色なのだそうな。バレれば自分が処刑されるという危険を犯して食料をシュピルマンに渡し、しかし映画では当のシュピルマンは助かった後にホーゼンフェルトには何もしていない。なぜか

『シュピルマンの時計』にはこの辺りの経緯が書かれている。そもそもシュピルマンは実際にはホーゼンフェルトの名前を意図的に聞かなかった。何故ならその後に更にドイツ人に捕まったとすれば、上着の持ち主を拷問で聞かれ、ホーゼンフェルトに被害が及ぶ可能性があったからだ。よってシュピルマンの戦後直後頃に書かれた回想録でも名前は出ていないという。ホーゼンフェルトの名前と事情がわかったのは妻と思われる人からラジオ局に投書があったから、そしてその後アクションは起こしたがホーゼンフェルトその人を助けることまではかなわなかったらしい。

映画の後半はこの点では確かに尻切れトンボという感がある。特に哲学的含意というわけでもなく、大尉については情け容赦がないようにも見える。一部は上述したとおりドイツ語での「敬語」が英語から日本語に翻訳する過程で抜けてしまったからだろう、とスピルマンは考えているようだ。なんとも残念だが、ある意味では翻訳上避けられないリスクというのはある気がする。

本作品での個人的な「収穫」は他にもある。ユダヤ人が単に全面的に迫害されたわけではなく、ドイツ人の側に立ってユダヤ人がユダヤ人に暴力をふるうということもあった、というのは実は不勉強で知らなかった。それも本作品ではその点はかなり露骨であり、『時計』でもシュピルマンが非常に嫌がっていたのがそのユダヤ->ユダヤの暴力でもあった、という旨書かれている。この点色々考えさせられるが、意見表明出来るようなレベルに自分は達していないと思う。

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