雑にまとめておいて大きく儲けつつやばそうなら後から巻き取る、これすなわちスケールするプロダクトなり

http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20141230

米国発の会社のプロダクトを見るとこういうタイプの実装を見ることが増えた、気がする。特に細かく正確に把握できるわけではないけど「個別の扱いを見るとすんげー雑、全体としては、まぁ動いている」みたいな。

ユーザ軽視と言われても仕方ないが実はそういうのを見てもユーザは離反しない、という線引き見たいのがある気がする。『ヒューリー』と『ザ・ヒューリー』を混同しているかのような映画ストリーミングサービスの話がどっかに合った気がするが、アルゴリズム的にある程度判定ができていれば特定のミスは後からホワイトリストなりブラックリストなりで例外処理すればいいんじゃね、とかそういう。最近は例外処理なんて億劫だしやっぱりユーザ離脱しない程度に俺ら大手だし、という雑な対応も増えてる、ような。数字を出せるわけではないので概ね直感に属するのだけど。

自分がdvorakを使っている関連でキーボードを使うプロダクトについては「キーボード配列」と「IME」のレイヤが切れているかどうかをチェックする事が多い。切れていないとdvorak US配列があって日本語IMEでその配列は使えない(日本語を打つモードでqwertyが必須になる、か、そのIME自身が独自にdvorak JP配列などを実装していて記号の入力がおかしくなるか、素晴らしく頑張って全部独立に実装するか)。あるプロダクトで予想通りこの問題が発生していて開発者サイドに話をしてみたところ、これまたよくある「オプション多すぎると対応ヤバイ問題」と同一視された。雑でも売れるからこそ勝つのだろうと思う。この問題については多国語化まわりで筋が悪いのでdvorak云々以外で問題が出る気がするのだが、売れる機能になるまでは作らないのは間違いない。

ユーザを十把一絡げで見ているのが正しい時代とでも言うのだろうか。少なくとも個別に細かいサポートをすると時間が消尽して売れる機能作れなくなる問題はあるのだとは思う。純粋な日本人プロダクトはその傾向に落ちるか、極端な上記の思想にいくかどっちかに行くような気が最近している。

製品品質からすれば多分すんげーどうでもいい、特定の細かい作り込みについてのこだわりを振られた時に、それを実装したくなる自分もいる。要は、売れるプロダクトに集中する諦めが自分の中にはまだないのであった。それはそれで、自分にイライラする。ぐぬぬ


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