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ドル150円に戻ってきてしまった話雑感

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素人であるという前提でお読みください。 少し前、おおよそ2023年の半ばから下旬ころに、銀行の勧めてくるプランが軒並み円高だと為替損になりそうなものに染まっていた時期があった。そのときにまず思ったのは「銀行筋も円高を予想しているのだな」ということだった。一方、そのときに個人的に懐疑的だったのは「不確定要素込でそう言えるのか?」だった。多くの(私と同じ)素人筋は銀行が円高方向に賭けているのできっとそうなる、といった趣旨の話をしていた。本当にそう思う? 私の予想は一貫して「長めに捉えれば円安方向に振れ続ける。ただしある程度の要因で円高に振れることは当然あるので、その円高の時期に無駄な動きをしない」だった。この判断が使えるのは私が為替周りで仕事をしていないからに依る。仕事をしている人が円高を予想しているのであれば、片側でその蓋然性は高そうに見えた。自分の資産運用における消極的な意思決定としてはドル80円頃から一貫してこのスタンスでいる。干支1周分くらいである。うーん、そんなに長くないかもしれない…… ドル80円頃、私はアメリカにいてUSDで給与を受け取っていたから、何らかの判断を必要とした。日本国内にいて、ドル建てにわざわざ変えて運用するための根拠を私は体感したことがない。この小さな規模感では、せいぜい海外に連動した投資信託程度で良い。ドル円の議論は私には少々難しすぎる。ただ、わかっていると主張する人々がわかっていなそうなのはなんとなく感じられる。 私には上に挙げた2つの思想(私のものと、仕事人のもの)には両方とも基礎 (foundationalな) レベルで問題があるとは思う。私の側は、確かにそうかもしれないが、ひどくのんびりした事情、ひどく小さな家計の規模を前提に構えているからこそできる話であって、お茶の間議論においては十分に妥当かもしれないが、会社や社会を支えられるだけの土台には非常にしづらい。もう片方は、なんというか単純に本当のことを見えづらいからという理由できちんと見据えていない。 蓋を開けてみれば2024年冒頭に大地震があり、円高に振れるという予想とは大幅に異なる経緯をたどった(「ドル150円」を迎えた直近の円安は米国の物価や失業率に関わる指標が存外に良いことに依っているのだと思うが、一旦ここでは、円高から円安に折り返したタイミングのことに意識を集中させておき...

今後20年ほどの生き残り案について考えていた

 ソフトウェア開発者という枠組みだけで20年生き残るのは現実的ではないように思えた。そもそも今は「まねーじゃ」の類の比率が高い。これは喜ばしいことである。 20年後に「まねーじゃ」のままであることは望ましいかと言われると難しい。要するに何ものにもなれない何者かなのである。捻りを考えておく時期だ。 捻りの一つは物理的・数学的に不可避な知見を足すことではないか、というのは常々考えていて、それは数学・統計であり、電子・電気といった領域に感じられる。数学・統計は「苦手意識」が消えた今、今後も大目標であり続けるだろう。電子・電気は最近違和感を感じることが急激に少なくなった。どちらも十分な水準に達する準備がない。これは10年という単位では越えなければならない。 もう一つの捻りは「まねーじゃ」からディレクター(取締役)なり監査役といった文脈になり得るように思えた。私自身に何かを経営を通じて達成したいという希望が今のところ見えない。しかし国内の経営の課題は見えてきた。会計監査の専門性までは到達したいとは思わないが、IT監査と管理会計(「経営者会計学」という語り方があるのだと最近知った)の文脈は非常に興味がある。なにせ理解している人が国内に少ない。そこを魅力に感じる人も少ない。ちゃーんす そういう話をしたら「趣味に無理やり理由をこじつけなくてよいよ」と言われた。しょんぼり

戦略コンサルの言う「プロの仕事」のプロらしくなさ

 どうも戦略コンサルの人というのはこういう口ぶりをすることが多い。「プロ対プロのしごとなのだから、同僚としてプロのしごとをして欲しい」 ところでLED電球の動画を見ていた。一方は有名電機メーカーのものであり、もう一方は安売りショップの製品であった。 どちらもプロの仕事ではある。ただし一方は高い、一方は安い。違いを技術的に述べることは私には難しいが、端的な特徴として、高い方は色再現性も高く、ノイズが少ない。一方はその逆で、その分安い。光量はどうだろうか、実は安いほうが光量は多かったそうだ。これはLEDの品質ではなく、それを遮る表面のガラスの厚さによっていた。 単純に「プロの仕事」である。100Vの交流電源に直接繋げられる製品にプロの仕事は有りえない。しかし特徴は異なる。 戦略コンサルの人の「プロ」仕草には次のような雑さがある:明るければ良い。 現実に重要なのはしばしばその要件以外のところにある。むしろ明るさだけをプロの度合いで考えるなら、安いほうが良いという話に直結しかねない。 今回の2つの異なる「プロの仕事」で最も分かりづらい違いは「ノイズ」だろう。片方は、明るさのような分かりやすい部分については文句がないかもしれないが、使っていてたまに「他の機器の調子が悪くなる」可能性がある。人体に危険はないだろうが、しかし、外部に影響がないことまでは保証の範囲外だ。それは「プロの仕事」の範囲ではない……これが安売りショップ側の態度である。安さとの一貫性において許容できる「プロ」さだと、私は思う。 このような「プロ」の仕事を利用するもう片側のプロは、このような見えづらい事象・違いをきちんと取り扱えるだろうか。ケースバイケースではあるが、概ね観測する限りでは、鈍感であることが多いように思える。肝心なのは鈍感なことがあること、ではなく、鈍感になりえることについて無知・無恥なことだ。これは、恐ろしいほどプロに見えない。 しかし、表層的な語り口の中で問題になることはない。ノイズで困るのはその仕事が終わったもう少しあと、しかも別のプロのしごとの文脈で、だ。相手にプロ意識を要求しつつ、いびつなプロ観を持ち続けていて羞恥がない。 そもそも、明確な合意がない限り、「プロ」という言葉には合意ある定義がない。なんとなく気分で表現しているだけだ、ISOもJISも通過してない。自分もプロ、相手も...

振り返ってみると後付説明が出来るが、先行する判断としても説明無しに妥当なパターンがある、という話

 一言で言い表す言葉がないので冗長に書いとくとこう。 ある部下を評価する際に「良い」「普通」「悪い」のどの説明も出来てしまうケースがある。こういう場合、通常は「良い」とするには交渉リソースを使うので大抵は「普通」にしてしまえるし、あるいは他のケースを優先するために「悪い」と出来てしまうことすらある。これも受け手としてはすごいアンフェアなことなのだが「ある」とはまず主張しておく。 この際、「普通」とすることに対して上方(つまり評価する上のレイヤ)に対する交渉リソースの消費は抑えられるため、特に良く吟味しない場合は「普通」に倒れがちだと思う。 ある時「自分は良い、じゃないと不服だ。辞めるわけではないがそう主張しておく」という話をしてきた部下がいるとする。自分からするとこれは若干めんどくさい。熟考するべき案件かもしれない。 ただあるときにこういうことがあった。ふと、特に深く考えずとも「良い、としても良いんじゃないか」と感じ、特に深追いせずに判断を「良い」としたことがある。そもそも最初の3択が任意で変えられることも一見不条理だが、それに加えてこの判断変更もある意味不条理だ。私は真面目に評価していないようにも見える。その時は事実自分でもこの2つの論点で「なんだこれ」と思ったものだ。 ただ振り返って考えた際には筋が通っていた。この評価変更の三択は選択肢としては有り得るし、その中で「良い」を選択するのはある観点で最良なのであった(別の観点ではそうではない) 後付けで言える主張はこうだ。その「不服」の背景は「より多く難しい仕事をしたから」であった。私が「普通」とすることでそれは今後、下手をするとその相手に対する普通のことになる。これは実際のところ私にとっても面倒なことだ。私も手伝うからだ。 「普通」の選択肢の良い点は、これが「自分の中でのその人の評価」に最も近いことによる。手伝わされているし、尻拭いも一部する必要がある。プラスはあった、ただし足も引っ張られていたところを見ている。プラスとマイナスでうちけすとゼロ。 ここで「良い」の評価を下すと、社内においては話が変わる部分が出てくる。まず短いスパンではその評価対象に報いる事ができる(離職リスクは低い方向にいくと予想される)。深い意味では、その相手は社内の等級的な枠で昇進する。そして私は手伝う必要が減少する。上の等級なら「普通...

日本語は滅びるかもな、と思った

 人はいずれ死ぬのです……じゃなくて、現代の人が想定しているよりも早く日本語が劣化して実用というよりは文化的な側面でキツくなるかもな、という話 機械翻訳が「まぁまぁ」になっていて、日本人が翻訳とかに対して相対的にパブリッシャーに金を払えない構図が出来てきています。すると、人の手で調整された「高級な」翻訳については今後「絞られ」ていくことになるかなと。日本初海外の作品の海外語には当然されるとして、逆は徐々に減っていくはずです。 やだー! https://twitter.com/rakuichirakuthe/status/1743035039724822680 https://twitter.com/alphabill/status/1743697852193497154 そうすると、例えば「後継者のいない伝統工芸」と同じ方向に日本語全体の文化的な部分が降りていくんだろうなー、とふと思ったわけ。 もちろん文化というのは変化するものなので、言葉も変化はするはずです。ただ、変化の先に、今は人手の介入を若干離れた壊れ気味の言葉(と、壊れ気味の発音)が混ざりますし、一度混ざればなんやかんやで人と機械が学習する際にもそれを基に構築されるのかなと。翻訳等をし易い言葉が残るでしょうし、翻訳を拒絶する単語・構造はまずは論理的な文脈から逆に採択されないはずです。 私が読む普段のニュース記事とか技術文書とか、やたら「読みやすさ」を強調する傾向が強まっていて、サイクリック・循環する感じでその主張が強まっている印象あります。要点なぁに、まぁわかるんですが、行間というか、個性というか、そういうのが死んでいて、主張がゾンビみたいに歩き回っているのを見る機会が増えた印象も同時にあります。主張が単層的なので、多分ですが英語で読んでもこれ苦にならんです。「読みやすさ」を重視する文なら日本語そんなに強い言語じゃないじゃん 日本語にオリジナルの情報がなくなる、とは言いませんが、それ以外の派生がすごく先細るし、現状ではもともとの直近の言語ストックをかなり強くフィードバックする傾向ばかりが進行していて、戻る事はおそらくないです(レコードブームくらいの戻り方はするだろうけど)。すると、「日本語である理由」はそこに囚われている人の相対的には貧困なコンテクストの中に閉じ込められるのかな、と。ほとんど「方言」...

危機管理について思うこと

 最近某所で「もわもわさんは若干楽観バイアスが強すぎるところがある」なんて指摘を受けた。個人的には「不愉快」と言って良いクラスで的外れなコメントだと思った。その人が知らないことについて余りに無警戒であったものだから。 まず、楽観バイアスがあるかないかは、私からは 評価できない 。そこはおいておきたい(事実、知っていることに対する警戒レベルは、そのコメントをした人は一般的な推奨水準か、それ以上だと思う。おそらく、防災の観点で言うなら、十分立派だ) 一方で、私が思うには、多くの人が「知っていることを過度に心配しすぎ、知らないことを あまりにも 無視しすぎる」傾向が強い( のであろう )と 憶測 している。ゆえ、「知っていることを心配しすぎず、知らないことに警戒する」傾向を意図的に強めている、が私の 一応 私の自己認識だ。 上の人に限らず、一般的に世間を見るに「知らないこと」に対する警戒心の薄さは余りにまずいレベルにあると思う。それは、多くの進歩があったからゆえなんだとも思う。科学が進歩すれば、いろいろなものが予測可能になる、世の中が明るくなる、現に明るくなっている、そういう言説は多く、根拠もある。まずい根拠がもしあれば、それは改善対象になるのである。 問題は「わからないことをあぶり出す」能力は人類としてそこまで高まっていないというところかなと思う。あるいは「分からない領域がどのくらい残っているか」を謙虚に検討する能力とでも言おうか。 片側では「進捗がある」一方で片側は「進捗のあるなしが分からない」。こういうときに後者ばかり強調するのが「陰謀論」という考え方は分からないでもない。 「分からないことには押し黙る」は間違っていない。問題は「分からないことはないものとして扱う」ことの恐ろしさの方だ。 私が嫌いな概念の一つが「最新の科学」という表現。単に「我々は思っていたより一層無知だった」と言うべきなのではないだろうか。進歩を強調すると、傲慢に見えるのだ。 統計とか定量的に把握したわけでは決してないが、次のように思う。そこそこの準備をしてしまった前提で言えば、「思っていたことが思った通りに問題となる」ことよりも、「思ってもみなかったことが思っていたことよりも遥かに頻繁に起こる」ようになる。探索空間が広すぎて、探索的にもチェックリスト的にも抑えられない不可視の問題が現れ、...

ふたつの「褒める」

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 給与とか評価とか信頼度という観点で見たとき、「褒める」に少なくとも2種類ある 一つは「格下への評価」。「格下」とは言い方は悪いものの、好意的な評価であることに違いはない。もう一つは「同格以上への評価」。 これらの2つを取り違える好例の一つは「部下を褒める」という慣行ではないかと思う。正確に言えば部下と上司の関係は格上・格下とちょっと違うのだが、ここでは「スキル面で格上の上司が部下を褒める」というケースを言っていると思って欲しい。 このエントリでは、この2つを混同する中でも、仕事上ありがちでまずい失敗について主に取り扱う。この「褒める」が「同格であることの証左」と部下側で勘違いすることだ。そういった勘違いをすると「褒められたから昇進する」と勘違いすることがある。こういう捉えられ方をすると二者の関係はひどくゴタゴタする印象がある。 ここでは上司側の対処法は検討しない。代わりに、部下サイドにこの二種類の「褒め」には質的な違いが少なくともある、ということは認識しておいてほしいと思って書くことにした。 「格下」への褒め、はあくまで格下へのモチベーション付けや教育という成果を目論む魂胆がある。悪意があるわけではない。ただし「称賛」というよりも「評価」であり「フィードバック」である。あるいは「続行せよ」というシグナルの比率が大きい。 同格に対して同じ「褒め」を実行することは通常ない。それは馬鹿にしていることになるからだ。「出社できた、偉い!」という「褒め」がある程度ジョークとして成立するには「本当はそのくらいのことで褒められる筋合いはない」という意識が含まれている。不登校児が登校できた、偉いのはわかるが、いつも登校している児童について言うまでもない。 この「格下」への「褒め」がされるということは、ある意味では「同格以上としての評価の土壌にない」ことを暗に意味している。 ある意味「英語、お上手ですね」とネイティブスピーカーに褒められるのと似ている。本当にネイティブだという認識を相手が持ったらこの言葉は(多様性が十分であれば)基本的に出てこない。 ゆえ、自身の「格」を組織や相対する相手に大して上げたいと思う場合、この手の「褒め」には、(表面的に礼をするのはもちろんなのだが)少なくとも満足しないほうが良い。 このエントリを思いついたきっかけは「上司に褒められている」と満足げに...

2024年の抱負を書いてみることにした

 毎年振り返れてないんよ! 大テーマ 50歳くらいに向けた方向性を考えて準備していく 小テーマ 体重を65kgまで(健康的に)減らす 手段はDDRでも良いよ 仕事に依存しない「人生でやりたいこと」を考えてみる 守りに使える横の知識を増やす 数学・統計の資格(以前と同じ) 「横」の資格(システム監査技術者とか) クラウドとかの資格(主戦力を若干可視化できるような感じ) 日々を(もう少し)記録する 以下雑文 40代も40代だし、50〜60代に何をやってるかなー(生きてたとして)、とか考えることが特に2023年年末は多かった。そろそろ終活のシーズンなんよ(早) 終活のシーズンにDDRやるかなー …… 「健康のため、みたいのはまぁいいんだけど、流石に動き方ちょっと雑すぎないかなー」とか思うことが2023年は多かった。というかあんまり冷静に考えて動ける感じじゃなかったんよ。 冷静に考えて動ける感じじゃないときにはDDRは都合いいなぁ。なにせ何だかんだで一度登った山って部分が多いからね。あと、若い時との差分が描き出せるので冷静に年食った段階との差分の分析は興味深い。なお、差分の分析自体は楽しいわけではないよ。なんせ無茶が出来ないって話が基本なんで老化を実感するだけなんだ。 「マネジメントとか色々わかってきたけど、んで、それをどうその後に結びつけます?」みたいなことを考える段階になってきた気がする。もう少しゆっくり考えていく想定だったんだけど、マネージャ方向が自分の想定より数年早く「あー、出来るな」と思えてしまった部分があって、一歩展開が早くなった。これは喜ばしい気がする。 日本帰ってきてから数年の不安・心配は「実践で役に立つプレイヤーになれるか」とか「もともとのマネジメント志向に転じられるか」みたいな話だったはず。特に2022年〜2023年はこの観点では大豊作だったのだ。 客観的に社会的に見える大きな成果、というのはそんなになかった、どころか、「なんか出来てるだけでこれ人生満足できるやつじゃないな?」と思う感じが強くなってきた。ちょっと他責っぽくてしょーもないんだけど、流石に「それはなくない???」っていう自分の外側のムーブメントが気になってしまうようになった。 あと、規模的にマネジメントの対象は「小さすぎる」とは思う。複雑度は相当高いと自負出来るんだけど、やはり一般的...

2023年を振り返ってみるなど

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 いやマジでここ最近進歩あるのか?3年連続で「振り返りが足りない」的な感想を持ってるんだけど。 https://dmiyakawa.blogspot.com/2022/12/2022.html マネージャ業 + 仕事人 去年と明確に違うのは、今年は仕事上の要請で「手を動かした」取り組みが何個かあって、それが個人的にも組織的にも規格外なものも含んでて、メンバーの評価がそれによって「やるねぇ」ってなったところかもしんない。個人的にも結構想定外の学びはあったので 振り返ってみれば 悪くない経験だった。昨年のエントリを振り返ると マネジメント系の学びを増やしたいと思うところなんだけど、来年もしばらく もにょることが多そう。来年は敢えてそちらに力を入れずに、多少手を動かす方寄りのほうが良さそうな予感がしている とかなっていたのとは連動している。自分から手を上げた……というよりはやむを得ずだとは思うんだけど、去年思った展開にはなってたんだなぁ。 というわけで「マネジメント」に加えて「手を動かす」という話としては美談に見えなくもないけど、物事の進行について言えば不透明感がすごかった。 「手を動かす」話も、「やりましょう」「やっています」「やりました」みたいな形の整った進め方ではなくて「知らぬ間に問題が起きていました」「やることに急遽なりました」「なんだこれは」「マジで何だこれは……」「やりました……(キレ気味)」みたいな展開。 「こういうことがないようにマネジメントがあるんですけどねぇ……!!」みたいに、自分の観測外のマネジメントにキレつつ、他山の石的にマネジメントの学びを得、解決策は絡め手みたいな。mokha時代の戦場駆け抜け系スキルがこれでもかと役に立つのはそれはそれで嬉しいことかもしらんけど、あってほしくないやつだ。 私としては「プレイングマネージャー」が好きではないのは変わらずで(2021年参照)、結局、今回の「プレイング」パート動きも中途半端な印象が拭えていない。手を動かすなら、もう少しきちんと技術要素は掘り下げて理解しつつやりたいんだけど、どうしても短時間で浅いさばき方になっていた感じが否めない。さらに、正直、なんかそういう「中途半端な動き」こそに価値を見出された感じがあって、これはこれで実際には不本意になところもある。 一方で、特に自分のような(マネジメント...

たまには雑記。意識したIT投資をしよう?

 なんの因果かコーポレート的な文脈で考えることが増えているのでそのあたりを。 雑に「IT投資」とか言っちまうけど、4パターンありえる 意識して、投資する 意識して、投資を抑制する 意識せずに、投資を抑制する 意識せずに、投資する(してしまう) パターン1は「あっぱれ!」 国内の話を見ると、「主張としては」2が多く、実態は3が多い。考えている風な人ほど、結果的にはパターン2を主張するようだ なんとなく勢いの良い会社は「意図せず」パターン4を踏んでいて、例えば何らかの成功をして「さぁ、ちゃんとした組織にするよ」というところで意識し始めたときに……パターン2を主張しはじめる :-p 「意識」ってなんだ、という話になる。 私の経験でも、ソフトウェア開発の流儀はわかっても「どういうソフトウェアを必要としているの?」「外部調達と内製、どっちがいいの?」は分からないことが多い。最近は大分土地勘がつかめてきたけど、それでも「外部調達」のハードルは領域毎にある。 例えば、普段TypeScriptとGoとPythonを書いているソフトウェア開発者やそのマネージャに「人事システムどういうのがいい?」と聞いて答えられるもんだろか。例えば労働法を知っているか、というところが先にネックになりそうだ。 数年前から、言葉が見つからないので雑に「管理会計」という軸で色々社内の状況を把握する仕組みについて考えたり自分で実際に作って社内適用したりしている。B/SやP/Lを掌握するのではなく、前段の人に起因する指標や社内の取り組み(よく「プロジェクト」と呼ばれる。PMBOK的には多分「プログラム」の方が正しいけど)をそこそこ定量風味に見るための機能だ。例えばSI的にアサインメントがあるものであれば「Aさんは来月70%ある案件に入る予定だったが110%稼働していた」ことを追いかけるし、プロジェクトの総工数も適時に(入力があった時点から)把握できる、といったところ。まぁそれだけだと工数管理なんだけどね とあるお菓子メーカーが売上に対するイモ製品の割合を追いかけている、という話を聞いた。人の潜在力を発揮させられるかどうかを重視する会社なら、多分だけど、管理会計上で「人が輝いているか」を見る必要は必ずある、と思う。 そう思うんだが、問題は、こういった「仕組みをどう作るか」はソフトウェアそのものの問題という...

2022年を振り返ってみるなど

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最近振り返りとかちゃんとやってねぇなぁと思ってたら去年も多分同じことを考えてた  https://dmiyakawa.blogspot.com/2021/12/2021.html マネージャ業 去年と引き続き。(分けたのは去年かもしんないけど) Engineering Manager と Technical Program Manager というふうに2つに分けて考えると個人的に納得感がある感じがする。 今年やったこと自体は個人的に結構誇りに思ってるんだけど、じゃぁ表面的な結果として一般の目に触れたかというと、うーん。前提になって効いてくるチーム周辺の別の要因が、私には如何ともし難い事情で今年は荒れに荒れたのだった。振り返ってみると「攻めきった!」というよりは「守りきった!」みたいな感じに。 いやさ、例えば隣のシマで人が複数人辞めた影響をもろにうちのシマがひっかぶったところ、矛盾のない範囲で人を充てて維持はしたんす(誇りに思うところ)。こういうの、正直めっちゃ神経使うんですけど、うまくやっちまうと「平常運行が続いた」ようにしか見えないみたいなんですよね。はぁ。 一般にはこれだとパッとしないと思う人のほうが多いはずだNE。バフェットの教え(「成長率そのものよりは市場平均との差で見ろ」的な話)で溜飲を下げることにする ※ 荒れる前になんとかする、ということもだいぶしていてもやはり限界はあるなぁ。上の事情全体をより大きな視点で予防できたか、というのは、もちろん私も何度も考えたことだ。いやはや色々難しいNE! セキュリティ体制関連 ISMSとかそういうの。かなり分野違いなんだけど、その分だいぶ学びが多かった。セキュリティ統括とか言うらしいよ? MSに限らず、組織が大きくなるタイミングで何が起こるのか、何をする必要があるのかの理解度が上がった。数年前にコーポレートエンジニアリングかじったときにも学んだこととして、このあたりを軽視すると結構大きな問題になるなぁと思った次第。でも具体的に言葉にするのは難しいな…… 諸事情で来年の半ばあたりまで一周目をやりきった後、あまり手を出さない予定。やりっぱになる感じがしてその点では不完全燃焼は確定。 AtCoderで水色 Rustを勉強するつもりでいたんだけど、気づいたらPythonでやってた。AtCoderのABCのみです。 水色...

7dtd A20 Navezgane 戦士ノーデス Tier5クリア

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今回セットしたレギュレーションは以下。 A20 (b238) 難易度: 戦士 マップはNavezgane(これは「コダワリ」) 「空輸の落下地点」オン(手抜き) いずれかの Tier 5 を成功裏に報告時点で成功とする ここは後で「Tier 5で特別な報奨をもらうまで、の方がガチっぽかったかも」と反省したポイントだけど、辛みをこれ以上続けられなかったという事情もあるw 死亡時点で失敗(ノーデス) ちょっと怖いのは死ぬまで行動不能になるバグとか。経験している分余計に。 このチャレンジに一応成功した直後、気が抜けた状態でシャムウェイ工場 Tier5 (荒廃地Tier5なのでガチ)で深夜に死にました。Tier5よりも深夜貞子の方がずっとヤバい まぁレギュレーションについて書いとくと、まずは「オレオレルール」は当然自分が興味深いと思うものにするよねと。戦士は分かりやすい。ノーデスも分かりやすいはず。 Navezgane…… YouTubeとか見てるとみんなランダムマップ生成のご時世なのだけど、自分はNavezganeとしてみた ランダム生成のマップは、トレーダーと街の距離も短ければPOIの密度も高めだし、とにかく先に進む場合には便利なのは確か。設定次第だけど全部森バイオームに寄せる運用とかもできると思う。 一方で「楽しいんだけど、何か違うなー」という気持ちが自分の中にはあった。 もうね、街がまずそもそもからに「ゾンビっぽい」のよ。分かる人向けに言うと「そもそもSIRENの屍人村なんすけど」みたいな配置 建物はよくダブるし、道路が(すごくきれいになったとはいえ)自然な街のそれではない。 標準的なマップのNavezganeは良くも悪くも作者の意見は反映されているなと思う。僻地の廃屋、小さい町、大きな街、思わせぶりな配置。 「トレーダーが街と近くない」という嬉しくない特性も含めてのNavezgane。そういう「標準」でやってみたかった、という素朴な動機があった。後で書くけど「なるほどこういうオリジナルの配置だと面白いね」というのもやっぱりあった。 これなら他の人もそこそこ同じ条件で試せる(やりたければね) ちなみに難易度について「遊牧民」は(死にながらではあるものの)結構な時間やった回があった。実は標準難易度とそこまでの差は感じない。一方、「戦士」をちょびっと遊んだときに「何か遊...

2021年を振り返ってみるなど

案外、ブログで構造的に振り返ってないなー ○ 仕事について ただ本当に振り返るべきは、だいぶさかのぼって5年くらい前のこと。当時「うーん、マネジメント系をやりたいと思っていたのに一向にそっちに行ける雰囲気ないな」と若干の危機感があったことを覚えている。誰かに喋ったかもしれない。 んで今年はというと、コードはほぼ書いておらずマネジメント全振りの一年だった。転職するときの意向がそもそもそうで、一貫している。あるときに一瞬「書いたほうが良いかー?」と危うい展開もみたものの、今の所はその必要性はない。プレイングマネージャーというのは主義ではない。 「ほぼ」書いてないので一部書いたものもある。ただ、書いたコードはチーム戦での(PRベース開発のような)それではなくて、業務の効率化のスクリプト程度のもん。ついでにバックオフィスの人にPython教えつつ、教える中で「実際の業務としてスプレッドシート2枚の凸合をあえてPythonでするとこうです」みたいな感じで説明も一応した(実用的には2枚くらいだとGASやセル参照で十分なんてこともあるんだけど、経験上それは3枚で一気に辛くなるし、業務領域的には、おそらく将来5枚くらいにはなるヤツなので、Pythonスタート……蛇足だった)。 技術的には「コードを書かずに技術コミュニケーションをする」方面では伸びた気はする。当然コードを書く側面では伸びない。ステークホルダーとのコミュニケーションはだいぶよろしくなったと思う。 最新の技術事情の「ひだ」からは距離が遠くなった。TSを書くことはまずなく、よってdenoの導入タイミングは「わからない」以上ではない(neverかもしれないし、sometime soonかもしれないのだけど)。Cloud Runは良さそうだし、Cloud Composerの金食い虫具合はダッシュボードからよく分かるが、いざTerraformを書けと言われても多分初速は出ない。MLOpsの使われ方は分かるが、ではいざKubeflowを使えと言われてもkubectlコマンドもgcloudコマンドも取り扱いに予習を要する、そういう。 一度落ちているIPAのデータベーススペシャリストはだいぶ力を入れて合格するも、本当にギリギリであった(午後IIが合格点60点のところ61点)。そもそも自分が面している業務からの距離がだいぶ遠く、「感じ」...

7dtd A20

以前もやってたんだけど、「十分やりきった」という感じがいまいちしていなかったので、再開した。そしたら、A19で割と拠点がそれなりにできた段階でA20がリリースされ、ゼロからやりなおし。 ううーんearly access。何年early accessで破壊的変更をカジュアルにやり続けるんだお主ら なお結論を言うと「 Tier 5のクエスト厳しすぎねぇ? 」「 ブラッドムーンホード、邪魔じゃね? 」を主張したいために書いときます。 前提。 A20 マップはPREGENのなんか(Navezganeより密度が高い気がする) ソロプレイ 遊牧民(標準の難易度より一つ上) 補給品の位置オン 他は標準と同じ設定 A20でパイプ系の火器が追加されたからなのか、割と前半から犬とかが出てくるのが厳しい。さよなら、ぼくらのラッパ銃。あのいびつなバランスは嫌いじゃなかった パイプ系火器が出てくるせいかピストルなどのまともな火器が揃うのが遅れ、パイプ系は弾を雰囲気で撃てるだけのショボさ。一方でゴミの中から出てくるアイテムのバラエティが増加しているのか、拠点構築に必要なひとしきりのものはすぐに揃う。A19と感じが違うのは確か。 クエストで正規ルートを推奨するためか、石斧で壁をめっちゃ彫りづらくなっている印象。木材フレームとそれを強化するときの木の消費量が多くなって、少なくとも前半はカジュアルに壁を作りづらくなった、etc. 全体として「さらにちゃんと仕組みが整った」「前半のやんちゃさが薄れた」という感じになっている。いやまぁ、分かるんだけどさ。 A20に限らずもっと手前のA16くらいでもコメントを目にするんだけど(私はA19からしかやってない)、古いバージョンからアップデートして結果として7dtd引退した人というのはレビューとかで結構良く見る。知り合いにもいた。 要するに「ちゃんとした代わりにやんちゃさがなく、やらされてる感が増す。やりたいことができなくなった」みたいな話 ある人は便器の中からピストルが出てきて興奮したんだと。なるほどそれは興奮はするけど、どういう経緯で機能するピストルが便器の中に残されたんだろう? ……と、あんまり気にせずにいたのだけど、たしかに「自分が思っているプレイスタイル」は破壊されるなぁと。少なくともそれなりに長い時間プレイしてたマップがサクッと使えなくなる更新という...

卓球

 最近やってるので雑感だけ書いておく きっかけはオリンピックとかではなくて、半年ほど前から卓球台が近くにある環境となったこと。「せっかくなので」卓球のラケットと靴を買った。他の人は台に備え付けの安いラケットと普通の靴だったので、この初手から若干普通ではなかった 靴は、卓球台の周囲が幾分不安定だったことによる。要は「怪我をしないため」だった。 ラケットは正直「なんとなく」だが、「そこにいた経験者が備え付けの安いラケットで不服そうだった」ということが幾分関係している。結果としてこのラケット(とラバー)購入は、現在までの自分の卓球理解の基礎になっている。……どういうこと? 卓球に限らず、この手のスポーツの場合、若い、筋力がある、運動神経がある、といった要素があるとそれだけでアドバンテージが大きい。 卓球の場合もそう。太り気味の私にとってみると、周囲が30前後、私が40前後で年齢も去ることながら、DDRもしばらくやっておらず、太り気味で、体が非常に固いという、全体的には勝ちに結びつきづらい状況ではあった。 特に卓球にぞっこんになろうにも、市況はコロナであり、つまりあんまりカジュアルに卓球しに行けない。ましてや子供がいる。こうなると、いくら「せっかくなんで卓球やってみよう」といっても、取れる選択肢は多くない。少なくとも、卓球を卓球台の上で思う存分やるというのは無理筋(今もそう) 実際にプレイする時間が短いなかで色々「得る」ことを目標とした場合、直接のプレイではなく、次のようなところからじわじわ「卓球を理解する」というのが重要で、おそらくはこの年令だとそれが「目的」にもなる 用具の意味を知ること 卓球上達に必要な要素を収集すること 卓球に強くなるための要素を分解し、卓球外にも役に立つ部分を人生の戦略上も強化すること ※ 他の人の良くある「目標」は卓球が強くなることで、例えば大会で勝つこと、あるいは周囲の誰よりも強くなることだろう。それは私の主の目標ではない。目標にしようがない。強くなれそうな感じしねーもん 強くなることに比して、上に書いたような目標をつきつめることは、そんなに難しいことでもない。中年にとってすれば「相手に勝つ」というのは最高難であることが多い。理解する、というのはそうでもない。 「用具の意味を知る」とはガジェオタということで、今所持ラケットが10本に上っ...

桃鉄スイッチ(=令和版)

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https://twitter.com/amedama/status/1421658455610249226 100年での「完封」的な文脈だと書きたいことはTwitterに書いてしまった気がするのでそちらへ。 もともとの動機は「地理の勉強に役に立つんかいな」といった話。県の位置を把握するとか、いくつかの地名はたしかに覚えるきっかけが出来たりするので悪くない。 一方、大分の湾がまるごとなくなっていたり色々デフォルメされているのは当然ではあって、その他「あったらいいな製薬」みたいなデフォルメ、その時々でしかわからないイベントなどもあるので「きっかけ」かなぁと。清少納言が「清掃」納言とか。「清」「少納言」って区切りなんですけど…… そういえば昔々の桃鉄では東京のビルがペンキ塗り替えコストを必要としていた気がするな。

風花雪月

 2019年のゲームなので今更感あるんだけど「なしルナ」(金鹿)までやったのでメモっとく(ただしカジュアル)。主に「難易度」と「ストーリー」について感想を書く。 ちょっと前提 自分があまりこの手のゲームに慣れていないこと、あと「ルナは別格に難しい」なんて説明があったこともあって、色々調べ物をしたり警戒しながらやってたんだけど、ネットなどの情報がだいぶ出揃ってる2021年現在、そういう情報をフルに使いこなすと「ルナでも簡単」なのかなと思う。強いキャラとそれに合った成長プランが大体全部出揃ってるのと、試しながらやらないといけないのとでは、そりゃぁ辛さが違うよね、と。 難易度面 ノーマル、ハードについて、難易度的に特に指摘するほどのものがない…… ノーマルは自分の基準からするとおおよそ「イージー」。1周目から個人的にはハード選べば良かった気がした。この手のTRPGにあんまり慣れがないので、色々安全寄りに倒したら(フリー戦闘とかね!)後半がダルダルになってしまった。とはいえ、これは振り返ってそう思うのであって、はじめてやったときに計略が全く使いこなせてなかったり色々システムの基本を追いかけられてなかった中では、妥当かもなとも思う面がある。 基本的に、このゲームはハードですらシステム全体を活用する必要があまりない。一方、ルナだとシステムをそれなりに活用しないと辛いので、ルナがコアなプレイヤーの標準難易度ってことになる気がする。 一方、じゃぁ「標準難易度」としてルナが丁度よいかというと、こちらは、なんというか「ピーキー」で、妙にキッツキツにしすぎているところが目立ってしまって、逆に若干息苦しい。 後で書くけど、DLCの煤闇の章はルナに近接していて、かつ敵が単体で跳ね回る感じではなく、敵の総数がしっかりこちらを押してくる感じがより好印象だった。しかも物語が短くコンパクト。良い。 ルナで厳しく管理しないと行けないと思った要素は後で述べる。 「引き継ぎありハード」のあと、そのまま「引き継ぎなしルナティック」(なしルナ)にチャレンジした(3周目でなしルナ)。「ありルナ」をちょっと試したのだけど、EP.3くらいには「これは後半ダレる!」ってのが目に見えたので、「なしルナ」一直線で、これはちょっとドキドキした。 ルナの前半は面白くもないパズルゲーという感じで、敵の攻撃力があまりに高...

評論おじさん

ソフトウェア開発者に限らないと思うが、なんやらかんやら、自分の関与できる・できない事柄について、地に足のついていない評論を行う人を目にする。ここではジェンダーに関する議論は一旦おいておいて「評論おじさん」と表現する。 ※ 経験上、実際男性の方が多く有害だが、女性で類似の問題を有する人がいないとは限らない。ただ、その場合もここで表現する「評論」とちょっと違う匂い・トーンが見え隠れするように思える。本議論ではこの匂いの微妙な差までは論じない。ここではこの匂いの微妙な差までは論じないものの、問題視したくなる傾向がより強い「おじさん」の方を意識して問題視したいので、「評論おじさん・おばさん」と併記もしない。 古くは新聞やニュース番組、スポーツ番組であーだこーだ言うというのは私の父親世代を見ていてあるあるだった。父親と言わないまでも、プラス10歳くらいの人、あるいは私も中年なので私の年代で「評論おじさん」というのはいる。 概ね、何某か社会で足のついた経験があるのが普通で、そうでない若者の戯言とはちょっと違う。若者の戯言は、たまに社会を動揺させるほどの大変容を感じさせつつ無謀で無思慮の印象が先行するのに対して、評論おじさんの評論は、一見して正しそうに見えることが多い。わかりやすいこともある。 問題は次にある。ひとしきり唸ったものの、次のような問に対し その評論となる根拠は実際に評論対象の領域について当てはまる確信があるのか、あるいは、他の分野の経験に基づく推論や、あるいは完全なる受け売りであって、確信の度合いと言うと大したことがないのか 評論の輪郭をよりくっきりさせた際に成立するのか。例えば「バランスが大事」と言ったとき、対象領域の「バランス」とはどのような具体的な姿をとり得るのか、その「バランス」を達成する現実的な方法が(その論者が出来るべきとは言わないまでも)一般的な供給において蓋然性高く実現できるのか その評論が導く結果に身銭を切れるのか、あるいは身銭を切って成功するのか 私が経験した事例では、妙に色々持論があってそれ自体は説得力があったりあるいは「オーラが感じられ」たりするものの、その意見のとおりに当人がプロジェクトを推進して、肝心の「顧客の期待に応える」ことがてんでできないというケースを見たことがある。 あるいはプロジェクトに問題があったときに、その手の「おじさん」が...

いろんなコンサルいるけれども

 ここ最近、いわゆる「コンサル」畑の人と仕事をするのが日常になっている。発注する側というよりは自陣営が基本的にそうなってる。まぁね、会社の性質としてそういうところを 選んでる からね。 コンサルといっても一通りではなくて、昔から私は『 コンサルタントの秘密 』が好きだったわけだから「全員、ある種のコンサルタントなんだ」という主張も好きだし、他方でいわゆる「コンサル」というのは戦略コンサルであったり、ITコンサルであったり得意領域が違うということはあり得る。別の軸として、「コンサル」というヒエラルキーのなかで、パートナーまで昇進したことがあるのか自分のコンサルティング会社を運営したことがあるのか、あるいは実は下っ端で追い出されたんだけど「BCGです(`・ω・´)」ってイキりたいだけの人もいる。 以下、私が好きな「みんなコンサルタントです」ではなく、いわゆる「コンサル」の人について引き続き考えていく。 「コンサル」というのは多分、自分自身が能力が高くなること、ではなくて、能力が高いように見せることに特化してうまくなること、が身についている。「コンサル」という立ち位置だと、実際に提案した施策がその3年後上手く行っていたことよりも、まず最初の3ヶ月で提案のウケが良いことの方が何百倍か重要というのは避けられない。 いくら口頭では「デリバリーに責任を持たなければいけないと思っています」と言っていたとしても、クライアントに見えない舞台裏では、如何に自分たちの責任を回避するかについてスライドの一文一句練りに練ることを優先しているし、ましてや、クライアントの社内にいる本当は問題の根本原因であるA氏というのが見つかったとしても、その人が窓口だったらその人を「あんたが問題なので会社辞めましょう」などとは言わない。 というわけで、この「コンサル」の人々に対して、私もあんまり快く思わない感情を抱きがちだ。とはいえこの人々は「よく見せようとする」その一手により、初手の動きがエンジニアよりもエレガントであるのは事実で、また例えばある種の開発フェーズで開発者側起因のミスがあったとして、それが爆散する範囲のコントロールについても「コンサル」してくれるため、「コンサルとハサミは使いよう」という面もある。 いやま、めちゃくちゃ言ってるのは承知なんだけど、「コンサルベースの会社ですよ」「いいですね...

最近の仕事

記録 今年1月に転職して試用期間も終わってしばらく経った。前回も今回も「AIベンチャー」の類だ。 役職こそ(ソフトウェア)エンジニア、あるいは「シニアエンジニア」だが、今回に関しては「エンジニアリングマネージャ」という方がより業界目線では適切な気がする。あるいは、ある種の「PM」だったりもする。この場合のPは何か……ProjectかProgramだろう。 「AIベンチャー」といっても性質がいくつかあると思う。ここで私が最近関わっているのは ビジネス ソフトウェア・エンジニアリング データサイエンス を3軸に据えるタイプの「AIベンチャー」に属する。 この3軸で話をする場合、時間経過も含めたバランスのとり方が大体問題になるようだ。 それは一連のプロジェクト(PoCから運用)における重みの変化であるとか、企業の成長フェーズそれぞれにおける役割分担であるとか、そういう側面で「時間が経過する毎に以下になめらかにそれぞれのフェーズを生き残って切り替えていけるか」という話だったりする。 単純に「PoCで終わり」というのは流石に話が浅くて、まずはそこはクリア出来る程度の体力があるものとしよう。「PoCのウケは悪くないとして……」というところから、より長期的に意味のある成果につなげていくのが真に難しいところだ。もっとも、技術的に難しいというより、本質的に、ソフトウェアを「日本の企業」が「日本の企業」に「継続的に」使ってもらおうとすることそのものが難しい、ということに思える。とにかくそう強く感じる。 こういう(3つの領域を軸とする)企業では、ある固有の理由から「3軸」という構想を描きがちのようだ。それ自体の良し悪しはともかくとして、このような構想を元に企業を考える場合、その3軸それぞれの強さもさることながら、実際にはそれらを取りまとめる「コーポレート・ガバナンス」を仕切る方に隠れたより重要な役割がある……というか、長期に成立させるための前提になるように思う。 この前提に対して手を入れていたのが前職の後半で行った仕事で、これは経営的な目線を獲得する、という観点でも、個人的に非常に大きな経験になった。まず浅く言えば「管理会計」なのだけど、そこで起きるいろいろな現象に対する理解は結局(経理であるとかコーポレート・ファイナンスであるとか労務とか人事とかそういうのを越えて)「コーポレート・ガバ...