卓球

 最近やってるので雑感だけ書いておく

きっかけはオリンピックとかではなくて、半年ほど前から卓球台が近くにある環境となったこと。「せっかくなので」卓球のラケットと靴を買った。他の人は台に備え付けの安いラケットと普通の靴だったので、この初手から若干普通ではなかった

靴は、卓球台の周囲が幾分不安定だったことによる。要は「怪我をしないため」だった。

ラケットは正直「なんとなく」だが、「そこにいた経験者が備え付けの安いラケットで不服そうだった」ということが幾分関係している。結果としてこのラケット(とラバー)購入は、現在までの自分の卓球理解の基礎になっている。……どういうこと?

卓球に限らず、この手のスポーツの場合、若い、筋力がある、運動神経がある、といった要素があるとそれだけでアドバンテージが大きい。

卓球の場合もそう。太り気味の私にとってみると、周囲が30前後、私が40前後で年齢も去ることながら、DDRもしばらくやっておらず、太り気味で、体が非常に固いという、全体的には勝ちに結びつきづらい状況ではあった。

特に卓球にぞっこんになろうにも、市況はコロナであり、つまりあんまりカジュアルに卓球しに行けない。ましてや子供がいる。こうなると、いくら「せっかくなんで卓球やってみよう」といっても、取れる選択肢は多くない。少なくとも、卓球を卓球台の上で思う存分やるというのは無理筋(今もそう)

実際にプレイする時間が短いなかで色々「得る」ことを目標とした場合、直接のプレイではなく、次のようなところからじわじわ「卓球を理解する」というのが重要で、おそらくはこの年令だとそれが「目的」にもなる

  • 用具の意味を知ること
  • 卓球上達に必要な要素を収集すること
  • 卓球に強くなるための要素を分解し、卓球外にも役に立つ部分を人生の戦略上も強化すること
※ 他の人の良くある「目標」は卓球が強くなることで、例えば大会で勝つこと、あるいは周囲の誰よりも強くなることだろう。それは私の主の目標ではない。目標にしようがない。強くなれそうな感じしねーもん

強くなることに比して、上に書いたような目標をつきつめることは、そんなに難しいことでもない。中年にとってすれば「相手に勝つ」というのは最高難であることが多い。理解する、というのはそうでもない。

「用具の意味を知る」とはガジェオタということで、今所持ラケットが10本に上っていることに対応する。7枚板とかカーボンとかCNFとか、中級者向けのラバー各種とか、粒高とか表ソフト(モリストSP!!)とかである。ラケットについてはまたこの後で書く。

「上達に必要な要素を収集」とは、なんのことはなく卓球の動画を見たりして、関係者の思考を追いかけることだ。「ディグニクスはテナジーと比較してもスポンジの気泡が細かく分離しており、スプリング性能が高い」といったことが挙げられる。あるいはもっとベーシックに「卓球においては相手の時間を奪うことが大事」みたいなのもここに含まれる。

「要素を分解」については、ベタに筋力をつけたりすることは「人生の戦略上」にも役に立つ。

今回、地味に焦点を当てたのは体の柔軟性だった。人生ここ30年くらい、自分の体が柔らかいと思ったことがない。卓球だと早速肩甲骨周りの硬さが問題になった。特に右側が固い。

「肩甲骨打法」とか言っている場合ではなくて、まずタオルラットプルダウンがろくに出来ないのであった。プロ卓球選手がスルスルとタオルを両手に握ってその両手を肩の下に下ろせるのを見たときに「ああ、あれが自分に致命的に足りてない」と思ったのだった(単純)

言うまでもなく体力・筋力も問題になる。しゃがみこみサーブ10回で筋肉痛では、ちょっと情けない。そもそも開始時、ラリー5分でめまいがするレベルだったので、まずそこからなのであった。40代寸前の体にとって卓球はどこまでいっても「えー、それも出来ないの?」からの脱却なのであった。

体力・筋力・柔軟性は地道に上げるものであった。それ以外に地道にしか上がらないものがある。多数あるが、例えば卓球での「打球感覚」「回転の理解」というのはそういったものの一つであったりする。これは家でスクワットしていて身につくものでもないし、素振りでもダメだし、プロの試合を見ているだけでも十分ではない。打たなければならない。

しかし打つ機会は潤沢ではない。「あー、小中高の部活って贅沢だな」と改めて思ったのだった。とはいえなんとかする必要がある。

一般に、打球感覚や回転の理解は卓球における一大難事なのである。それは用具、特にラケットとラバーの多彩さでわかる。ついでにいうと「やたらみんな語りたがる」ことからも更にわかる。歴史を紐解くと、プラスチック球への移行とラバーへの後処理禁止が状況を加速させている。ここに商売上の市場があり、卓球固有の要素が詰まっている。

潤沢な時間から成る経験を得られない状況下において、知識でそれを補う、ということになり、用具の意味を知る意味は重要度が増す。基礎体力のすべて、練習の量が劣るので、補える要素はほかから、つまり用具、ラケットとラバーに集約される。

さて「高い用具であればよい」のだろうか。残念ながらその道の人の見解は「否」なのであった。当たり前だが「打ってて楽しい」が「強い」ことを意味しない。

良く飛ぶラケット・ラバーは「入らない」ので得点に結びつかず、勝てない。にも関わらず「打ってて楽しい」ので厄介だ。デグレードしたラケットとラバーの方が勝てる、という状況で、跳ねる(高い)ラバーを使う誘引もある。

大まかに、ラバーやラケットの評価には「スピード」「スピン」「コントロール」がある。最後の「コントロール」は「スピード」「スピン」とは総じて両立しない。「スピード」「スピン」は上級者でも選ぶが、そのときには暗黙に「コントロール」は捨ててかかる。一方、「スピード」と「スピン」を両立させると「コントロール」が犠牲になる。コントロールを維持するために「スピード」「スピン」のどちらかを犠牲にする、という議論は実はあまりない。「スピード」「スピン」は大まかには「打った瞬間の楽しさ」(勝つ楽しさではなく)にそのまま直結する。ドライブ回転がかかっている速い球の方が爽快なのだ。

特に、卓球の用具は上位では高価になっているが、それは高いだけでなくボール「コントロール」に対する一定の犠牲の上に成り立っている。コントロールなしで高いものは意味がない。

「用具を理解する」ということは、「高いのが良い」「打って楽しいのが良い」という誘惑に対して冷静にノーを突きつけること、自分自身のレベル(筋力や柔軟性すら含む)やスタイルと向き合うことを、同時に意味するようになる。

筋力や柔軟体操で「卓球を理解する」というのはしっくりこないが「用具を理解する」という行為は突き詰めると「自分の基礎体力、卓球の能力や特徴、クセを理解する」ことと直結しており、「卓球を理解する」ことにより近づく。卓球を台上でじっくり出来ないときの「近似」としては上々であろうと思う。

私にとって「ライガンスピン」が「合わない」と感じるのはなぜなのだろうか。

ラバーそのものなのか、ラケットなのか。ラケットは重いほうが良いのか(コルベルでも十分重い)、軽くて良いのか(アーレスト7+)。

私にはカーボンはまだ早そうだった。上で名前こそ出したものの、テナジー(あるいはその下のロゼナ)は私には早そうだ。私にとって、ラバーはまだ「コストパフォーマンス」の圏内で考えることが山ほどある。スポンジ厚は何が良いのか。特厚はなんとなく「気持ち良い」がそれで良いのか。

表面と裏面はどういう選択基準にするのが良いのか。最近思ったこととして「練習が十分でないのに、裏面(バックハンド)での多様な処理ができることを期待しようがない」というのがある。敢えてマークVくらいに落とすのも良い選択肢だろうし、立派に粒高が選択肢にあがる可能性がある。今は表ソフト(モリストSP!!)を試している。

全部を上のように消極的に行くのも「理解する」にはそぐわない。フォアは基礎体力を固めるのとセットでしっかり仕上げておきたい。よって選択としては、インパクト重視のラケットにバランスの良いラバーとするのはどうだろう(ヴェガヨーロッパを試している)。筋力が十分でないことを思い浮かべると、中級基準でも柔らかいラバーのほうがトータルでは自分に刺さりそうだ……

フォア面に合う組み合わせの探求は……きりがない。何より自分がその違いを認識できるのか、というのが問題だ。ただ、「ライガンスピン」は合わないのだ。多分、まだ固い。フライアットスピン(特厚)、ファクティブ(中厚)、ヴェガヨーロッパ(中厚)あたりを試すと悪くはない。

ただ、あとは打たなければ本当のところがわかってこない。もどかしい

折しもオリンピックを見ていて、日本選手の「不安定さ」みたいなものに思いを馳せていた。卓球には回転があるためシンプルに分析できないが、試合前半のネットミス、オーバーミスは気になった。あれは何に起因しているのだろうか。

中国選手との安定性の違いはなんなんだろう。素人として安定性とは何になるのか。フットワークの練習を厳しくしなければならないたぐいのものだろうか。

……と、色々「考える」方で卓球を遊んでいる。何かのきっかけで離れるまでは、しばらくは続くだろう。




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