日本語は滅びるかもな、と思った
人はいずれ死ぬのです……じゃなくて、現代の人が想定しているよりも早く日本語が劣化して実用というよりは文化的な側面でキツくなるかもな、という話
機械翻訳が「まぁまぁ」になっていて、日本人が翻訳とかに対して相対的にパブリッシャーに金を払えない構図が出来てきています。すると、人の手で調整された「高級な」翻訳については今後「絞られ」ていくことになるかなと。日本初海外の作品の海外語には当然されるとして、逆は徐々に減っていくはずです。
やだー!
https://twitter.com/rakuichirakuthe/status/1743035039724822680
https://twitter.com/alphabill/status/1743697852193497154
そうすると、例えば「後継者のいない伝統工芸」と同じ方向に日本語全体の文化的な部分が降りていくんだろうなー、とふと思ったわけ。
もちろん文化というのは変化するものなので、言葉も変化はするはずです。ただ、変化の先に、今は人手の介入を若干離れた壊れ気味の言葉(と、壊れ気味の発音)が混ざりますし、一度混ざればなんやかんやで人と機械が学習する際にもそれを基に構築されるのかなと。翻訳等をし易い言葉が残るでしょうし、翻訳を拒絶する単語・構造はまずは論理的な文脈から逆に採択されないはずです。
私が読む普段のニュース記事とか技術文書とか、やたら「読みやすさ」を強調する傾向が強まっていて、サイクリック・循環する感じでその主張が強まっている印象あります。要点なぁに、まぁわかるんですが、行間というか、個性というか、そういうのが死んでいて、主張がゾンビみたいに歩き回っているのを見る機会が増えた印象も同時にあります。主張が単層的なので、多分ですが英語で読んでもこれ苦にならんです。「読みやすさ」を重視する文なら日本語そんなに強い言語じゃないじゃん
日本語にオリジナルの情報がなくなる、とは言いませんが、それ以外の派生がすごく先細るし、現状ではもともとの直近の言語ストックをかなり強くフィードバックする傾向ばかりが進行していて、戻る事はおそらくないです(レコードブームくらいの戻り方はするだろうけど)。すると、「日本語である理由」はそこに囚われている人の相対的には貧困なコンテクストの中に閉じ込められるのかな、と。ほとんど「方言」のレベルの話になるんじゃないかなと。イヌイットの雪の表現はたくさんあるんよ、でもその言葉使いたい?みたいな
現段階だと「翻訳有能だから日本語だけ学べばええじゃん」てなる層が結構未来にたいする期待を持ってますが(要は学ぶ必要がないから都合が良いんね)、これ、将来を見据えるともしかすると話は逆で、翻訳に踊らされる形で日本語の幅を狭めることに情熱を傾けるという話なんだということなのだろうなー、みたいなそういう感じ。
「1月1日日曜日」読むの難しいよね、みたいなのも下手すると毛嫌いされて、「読みやすさ」のために 2024-01-01 (Sun) となるというそういう話にもなるかも。実際、技術文書なら、私なら多分そっちを指示する。海外の人とコミュニケーション取る際にだって便利だもの。