いろんなコンサルいるけれども
ここ最近、いわゆる「コンサル」畑の人と仕事をするのが日常になっている。発注する側というよりは自陣営が基本的にそうなってる。まぁね、会社の性質としてそういうところを選んでるからね。
コンサルといっても一通りではなくて、昔から私は『コンサルタントの秘密』が好きだったわけだから「全員、ある種のコンサルタントなんだ」という主張も好きだし、他方でいわゆる「コンサル」というのは戦略コンサルであったり、ITコンサルであったり得意領域が違うということはあり得る。別の軸として、「コンサル」というヒエラルキーのなかで、パートナーまで昇進したことがあるのか自分のコンサルティング会社を運営したことがあるのか、あるいは実は下っ端で追い出されたんだけど「BCGです(`・ω・´)」ってイキりたいだけの人もいる。
以下、私が好きな「みんなコンサルタントです」ではなく、いわゆる「コンサル」の人について引き続き考えていく。
「コンサル」というのは多分、自分自身が能力が高くなること、ではなくて、能力が高いように見せることに特化してうまくなること、が身についている。「コンサル」という立ち位置だと、実際に提案した施策がその3年後上手く行っていたことよりも、まず最初の3ヶ月で提案のウケが良いことの方が何百倍か重要というのは避けられない。
いくら口頭では「デリバリーに責任を持たなければいけないと思っています」と言っていたとしても、クライアントに見えない舞台裏では、如何に自分たちの責任を回避するかについてスライドの一文一句練りに練ることを優先しているし、ましてや、クライアントの社内にいる本当は問題の根本原因であるA氏というのが見つかったとしても、その人が窓口だったらその人を「あんたが問題なので会社辞めましょう」などとは言わない。
というわけで、この「コンサル」の人々に対して、私もあんまり快く思わない感情を抱きがちだ。とはいえこの人々は「よく見せようとする」その一手により、初手の動きがエンジニアよりもエレガントであるのは事実で、また例えばある種の開発フェーズで開発者側起因のミスがあったとして、それが爆散する範囲のコントロールについても「コンサル」してくれるため、「コンサルとハサミは使いよう」という面もある。
いやま、めちゃくちゃ言ってるのは承知なんだけど、「コンサルベースの会社ですよ」「いいですね入りましょう」って開発系の職種で意識して入っているわけだから、ブログの放言風にではなくて、仕事的にニュートラルに言えば「開発職種な人もコンサル的な人も、双方尖った部分があり、双方に谷があるので、上手く相互に利用し合うことで会社としてシナジーを実現すればよろしい」なんていう気持ちになる。
プレスコットのピクルス原理……
結局、悪い意味でも影響されることは避けられないものの(「アグリーです」)、実際に仕事をしてみると、表面上の「コンサル嫌い」とは異なる、筋金入りの「コンサル嫌い」になれる、という良い点(?)がある。2割ぐらいきゅうりの「コンサル」漬けになっている一方で、その2割の自分を論理的に嫌いになれる。G.M.ワインバーグ氏もプレスコット氏も、こんなマゾムーブメントは期待していないはずだ。
「コンサル」の人は、聞こえの良い表現をひねり出すことに時間をかけすぎるので実務のリスクに脇が甘い。「業務効率の20%改善」と言ったときに、実際にそれを組織に「インストール」して経過観察した際、手元で実は15%くらいだった場合、「ごめんなさい」と言う前にものすごく数字をねじって「特定領域の業務効率について20%改善(約束したでしょ!)」ってスライド作るとかする。そこに時間を費やすので、本質そこじゃねぇ、って思うんだけど、当のクライアントには気づかせないから、なんと!次の契約も取れる。で、次の契約では実は「改善」の部分は放置する。だって、その「成果」って、嘘だもんね。傷が膿む前に逃げるよね。
これを「虚業の態度」とでも呼んでおく。酷いな。
「コンサル」がこの「虚業の態度」で取ってくる案件を、「真の実業としてのソフトウェア」として安定化させるには如何にするか、というパズルゲーを解くのが今の自分のチャレンジなのであった。あいにくソフトウェアもB/S上は空虚なんだけど、世の中の潮流的にはしっかりと利益の源泉と認識されるようになっているし、つまりまぁ、そこに群がる同じ穴のムジナとして「コンサル」と「ソフトウェア開発者」はいる。
ん?
「ソフトウェア開発者」は「ソフトウェア」ではない。つまりソフトウェアが持つすごい性質を根拠に、ソフトウェア開発者がすごいなどという主張はできない。いくらイキっていても「流行る安定したソフトウェア」を広域に提供しきれる人はそう多くない。Jeff Deanとかそのくらいの人ならともかく。あるいはもう少し「身近」な例で言えば、Treasure まるまるを創業してイグジットする、とかそういうところまで一通りやったんならともかく。
ま、つまり、せいぜいチョット著名になったプラットフォームの立ち上げ期にたまたまそこに居合わせただけ、みたいな私のようなソフトウェア開発者は、「ソフトウェアの凄さ」を語る責務はあるだろうが「ソフトウェアの凄さ」の恩恵をそのまま受け取る資格までは正直ないと思う。そこのギャップにつけこんで生活の糧を得ている立場は、うーん、「コンサル」とそこまで変わらないように思われますがね?
「ソフトウェア」というすごい土台に吸い寄せられてその周囲でダンス踊ってる連中の一人でしかない。開発者が偉ぶるのもまぁ、なんというか、いまいちなのだ。
書きたいことからだいぶ脱線した……
同じ穴のムジナとして観測する際に、どうしても開発者目線で「なんか悪意あるなぁ」と思う機会はなくはない。良く言えばクライアントへの資料のクオリティを改善していっているわけだけど、社内でも類似のムーブメントをこういう文脈の人はしてくる。否定的意見を持ってるのに「まったくもっておっしゃるとおりだと思います。一方、」から入るんだよ、社内の議論でな。しかも「一方、」の後はクッション満載で分かりづらい。というわけで、幾分このムーブメントに悪意に感じる面があった。
以前観測した事象として、やはりそういう社内政治的な動きをしている人がいて、個人的に非常に気持ち悪いと思っていたことがある。ただ振り返ってみると、ああこれが「コンサル」的態度の人と仕事をすることなのだな、と理解できつつある。
議論をシンプルに語るまえに一度すごくこねくり回すので、気持ち悪い。……のだけど、こねくり回す動機に悪意があるんじゃなくて、そういうクセというか、もう仕事人としてそこが数少ない提供価値なのである、ということなようであった。
顧客との対話において「こねくり回す部分」がソフトウェア開発者の目線からすると本質的ではないように思えたり、異常なほどに込み入っていることがあるので、何か隠したがっているとか、あるいは政治的に振り回すつもりなのだと思っていたのだけど、どうもそうではない。
ハンロンの剃刀だ
敢えて擁護するなら、もともと「コンサル」を取り巻く単価は、単体で見るならソフトウェア開発者のそれよりもずぅっと高い。
ソフトウェア開発者の提供するソフトウェアは「スケールするかもしれない」という全く違う性質によって世の中を席巻し、アップサイドリスクが果てしないから今みんなが群がっている一方で、「コンサル」の成果物はダウンサイドリスクが果てしない「見た目は高額」という、逆の立ち位置にいる。
褒められたものではまったくないが、要はこのダウンサイドリスクに対する処世術に過ぎないんだなと。政治的意図がある(高度に悪意がある)んじゃなくて、単にワタフタしていただけなんだなと。
言いたいことが書けたので、まとめずに終わる。ところで『反脆弱性』『身銭を切れ』は面白いよね