振り返ってみると後付説明が出来るが、先行する判断としても説明無しに妥当なパターンがある、という話
一言で言い表す言葉がないので冗長に書いとくとこう。 ある部下を評価する際に「良い」「普通」「悪い」のどの説明も出来てしまうケースがある。こういう場合、通常は「良い」とするには交渉リソースを使うので大抵は「普通」にしてしまえるし、あるいは他のケースを優先するために「悪い」と出来てしまうことすらある。これも受け手としてはすごいアンフェアなことなのだが「ある」とはまず主張しておく。 この際、「普通」とすることに対して上方(つまり評価する上のレイヤ)に対する交渉リソースの消費は抑えられるため、特に良く吟味しない場合は「普通」に倒れがちだと思う。 ある時「自分は良い、じゃないと不服だ。辞めるわけではないがそう主張しておく」という話をしてきた部下がいるとする。自分からするとこれは若干めんどくさい。熟考するべき案件かもしれない。 ただあるときにこういうことがあった。ふと、特に深く考えずとも「良い、としても良いんじゃないか」と感じ、特に深追いせずに判断を「良い」としたことがある。そもそも最初の3択が任意で変えられることも一見不条理だが、それに加えてこの判断変更もある意味不条理だ。私は真面目に評価していないようにも見える。その時は事実自分でもこの2つの論点で「なんだこれ」と思ったものだ。 ただ振り返って考えた際には筋が通っていた。この評価変更の三択は選択肢としては有り得るし、その中で「良い」を選択するのはある観点で最良なのであった(別の観点ではそうではない) 後付けで言える主張はこうだ。その「不服」の背景は「より多く難しい仕事をしたから」であった。私が「普通」とすることでそれは今後、下手をするとその相手に対する普通のことになる。これは実際のところ私にとっても面倒なことだ。私も手伝うからだ。 「普通」の選択肢の良い点は、これが「自分の中でのその人の評価」に最も近いことによる。手伝わされているし、尻拭いも一部する必要がある。プラスはあった、ただし足も引っ張られていたところを見ている。プラスとマイナスでうちけすとゼロ。 ここで「良い」の評価を下すと、社内においては話が変わる部分が出てくる。まず短いスパンではその評価対象に報いる事ができる(離職リスクは低い方向にいくと予想される)。深い意味では、その相手は社内の等級的な枠で昇進する。そして私は手伝う必要が減少する。上の等級なら「普通...