2通りの試験の楽しみ

今日英検1級の試験らしいんですが準備してねーんですよね。受かる気しますけど、落ちてもいいやという。大体、一次受かっても二次試験の日は簿記とぶつかってるんです。ほぼ無理筋です (一応理由をつけとくと、時間がずれてたら両方取りに行くプラン)

でま、どうも近くの人にも私が「資格マニア」的なものだと勘違いされる人がいるようなんですが、うーん、マニアというと私がそういうの「好き」そうなんですけど「受けとかないと気だるい。受けとくか」という割のマイナスオーラ方面から受けてるので、必ずしもマニアというのは正しくないかなぁと思いますん。そういうふうに言うと「またお前は……」という反応も予想されます。確かに好きでやってるなんて最近ではWhite Album 2くらいです。音楽にあわせてパネルを踏み込むゲームを好きと称したことはないのです。

で、英検1級は準備しておらず、簿記3級と2級はかなり全力で準備しており、昨日やって途中で投げた簿記・会計のセンター試験は(当然)準備してません。単純に受けられないからセンターに興味ない、というのはありますけど、準備あり・なしはそれだけでない、態度上の違いがあります。

準備をするというのは、解放手順を得るというテクニカルな側面を重視する対応です。その試験に付随する資格が欲しいというケースではこれをどうにかするしかありません。つまり受かるためのものです。

準備をしないというのは、その場で設問者の意志と対峙するという意味でやや快楽的な対応です。試験には採点基準がありますから、その場で採点したいものと背景を見ながら逆算して解法を導いたり、あるいは裏をかいたりします。試験の上での公平性であるとか、点数分布の偏りなどで設問者は結構縛りがあるなかで工夫を凝らすということもあります。そういうのは現場で対峙するのが一番直接キます。試験作成者が敢えてきわどい問題を出すってのはすごいのです。予備校が「絶対でない」と言った問題を出すとか、教科書に出てくる本来は暗記するような公式を証明させるとか。相当、暇だったんだろうな

準備をしないという方法は、割と普通の人は興味を持たないというか持ち得ない手法で、なぜかというと、資格というのはどれであれ何か目的を持って人は受けるからです。大学受験も、特に目標大学で後者の方法を取って勝利するのは難易度が案外高い。せいぜい出題者のレベルに拮抗するくらいダレないと難しいのです。私の近場の非常に頭の良い人も、後者の態度で難問を笑う人はやはり修士的な、どっちかというと手もちぶさたなレベルに到達した人の方が多かった印象。どんなに頭がキレても、試験にとらわれる世界観の人は、レベルに関係なくどうしても手続きを見ていく方向に行ってしまう。それはもうどうしようもない。現役にしろ浪人にしろ、予備校は最上位の授業が一番面白い理由もこのあたりにあります。

……まじか。今の人は恵まれてるなー……

でま、英検1級というのは本当に「要らない」一方、何かこのまえ過去問やったら「なんかダルイなぁ」と思ったので、結局後者として、「こいつらは一体何がしたいんだろうなぁ」という態度で望むという意味で今日受けに行きます。それでも試験は試験でして、だから面倒なんですけども。

ちなみにそういう態度で望んだ試験としてはTOEICというのもあって、あちらはあちらで妙に実用に使いたがる人がいて勘違いされるんですが、ダラダラ受ける方が楽しいと思います。で、以前受けたときはダラダラやりすぎて時間配分がダメダメで、後半5問くらい完全に飛んだような。それでもそれなりの点だったもん!文句言わせないもん!

本来の妥当なIT技術者向けの面接試験みたいなのは実際にはこの中では後者のような対応の方がずっと適切で、だから分野によらず、こういう態度の試験の受け方を知っておくのは、なんとなく意味があるのだと思います。でも今日は受からなそうです。

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