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ロスト・ユニバースの先進性

AIネタを色々眺めているときに地味に先進的だと思い至ったのが、1990年の小説およびアニメ作品『ロスト・ユニバース』のキャナルだ。 今だと『ロスト・ユニバース』という存在そのものがロストしかけており、今ではヤシガニという謎の一単語以外記憶にない人も多いかもしれない。キャナルは宇宙船の制御システムで、今で言う汎用AIと考えて良い。後は素直にWikipediaでも見よう。 強いAIそのもので、90年代のアニメで声が林原となると概ねどういうキャラ立てなのかは割と分かるかもしれない (ただし綾波レイを想像してしまうとまずい)。ロスト・ユニバースと同じ原作者でリナ=インバースというキャラもいるので、余計に「ああ同じ声」となってしまうのは当時アニメ好きだった人の悪い癖だ。ちなみに記憶の限り、キャナルはリナほど横暴ではない。 で、作中で主人公がこのAI娘とチェスをする。AIが圧倒的に強いのであればそんなに驚きはないが……AIが途中でこっそりレベルを上げているという設定は、今考えると興味深い。 このAI、接待するどころか負けたくないという自我まであり、さらにレベルを上げていることをごまかすのである。SFなのでAI側のアルゴリズム的な能力が強力無比なのまでは分かるとして、そこまで人間臭くなくていーじゃねーか、と思う。 なお、同世代のAIには他にも例えば「オモイカネ」というのもいるのだけど、あっちはそういう面ではモラルがありすぎて語るものがない。ヒロインをサポートするために艦内設備使うのもアレだが、ヒロインと口論するくらいのAIの方がより問題が多そうだ。 #なお、このエピソードは私のふるーい記憶にもとづいているので、本当にそのシーンが小説・アニメ双方もしくは片方にでも実在するかはちょっと未確認だ。今確認するには当時の作品は全体的につらすぎる。

冬コミ (C91) の寄稿情報: mypyだよ

コミックマーケット91 新刊情報と予約開始 The Web Explorer 3 雑誌の寄稿の話なんていう話も特にないので、今冬も粛々とTechBooster推しです。 今回はプログラミング言語Pythonのサポートツールの一つとして急成長している「mypy」について書きました。 http://mypy-lang.org/ Mypy is an experimental optional static type checker for Python that aims to combine the benefits of dynamic (or "duck") typing and static typing. Mypy combines the expressive power and convenience of Python with a powerful type system and compile-time type checking. Mypy type checks standard Python programs; run them using any Python VM with basically no runtime overhead. mypyはPython向けの実験的・オプショナルな静的型チェッカーです。動的型付け(いわゆる「ダックタイピング」)と静的型付け双方の利益をPythonにもたらすことがこのプロジェクトの目的です。mypyによって、Pythonの高い表現力・記述の容易さと、強力な型システム・コンパイル時型チェックを組み合わせることが出来ます。mypyは標準的なPythonプログラムに対して(事前に)型チェックを行います。任意のPython VMを用いて型チェックを実行可能で、それに伴う実行時オーバーヘッドは基本的に発生しません。 2016-11-21 に本体が更新されるとか、まさに執筆中の最中で実にいい感じです。ガチで「開発段階」であるということで、 使ってたら必要に駆られて関連プロジェクトにパッチを送る羽目になったでござる というほどです。まぁよくある、のかな。 これだけガチに「開発段階」だと、本来は本番とかで使うとヤケドする印象なんですが、mypyだとそれがほぼないので、...

「SPARK」日本ツアー2016に行ってきた

http://www.hiromiuehara.com/tour2016/ 「ジャズなんて聞くの!?」とか聞かれそうだが、一応 前から聞いている 。とはいえ作業用BGM的に聴くくらいでライブに行く機会がほぼない。というわけで、あまり語れるわけでもなく、単に「良かった」としか言えない。 で 特にCDとの比較で即興演奏が想像していたよりも著しいカオスだった(褒め言葉)。CDレコーディングってなんだかんだで整えてあるんだなぁとなんとなく納得。即興なかったらあまりライブ感ないという話も、なんというか「なるほど」という。 特におもしろいと思ったのは、ピアノ即興が見た目「狂ってるwww(褒め言葉)」というテンションに上がっている状況でも、即興のラストでピタッと元の鞘に収まるところ。 特にドラムとピアノの息の合い方は尋常じゃない感じ。 ドラム とピアノの間でシグナルが飛んでるのが「目」に見える感じ。小節数である程度のルール決めてるんだろうとは言え、ドラム「はーいやめ」ピアノ「ほーい」という会話が聞こえるのはなんでだろうな。 聞いていて「それだ」という即興と「んー、違うな」という即興があるのも面白い。当然といえば当然なのだけど、即興の主役が攻めるほど基本的にはズレやすくなるようだ。 ベースの人 とのシンクロ率はやや低い印象。「交代した」という話を聞いているからそう思っただけ、というのはあり得る。本来のメンバーでの生演奏と「比較」したい欲求にかられるわけなんだけど。 ぐぬぬ、ALIVEのときに行けていれば…… orz

サボハラサボエ

地方公演等で出るほかはTVにはめったに出ないんだが改めて見た……そうか篠原ともえかww http://biz-journal.jp/2015/07/post_10889.html あまりに昔のイメージと違う。普通に良い演技をするタレントになっていて意味が分からん、と思っていたら色々レベルが上がっていたらしい。人の成長ってわからないものだなぁ……あと、レグの声なのね。 Wikipedia見たらホネーキンさんの声がみやけマン (椅子の応援団長)とか……やっぱり色々カオス。

蹴鞠の違和感

ネイティブ広告ハンドブックと広告業界の「蹴鞠おじさん」について 原則として 簡単に説明出来るものを無闇に複雑なままにしない 複雑に説明しなければ誤りになるものを無闇に簡単にしない というのが大事だと思う。 業界が「簡単に説明出来る」ガイドラインを作るのを怠っていて、考察段階も含めた煩雑な資料つまり「複雑にせつめいしなければならないもの」をそのまま出している状態。資料の属性を混同してるのかなと思った。そういう意味で「蹴鞠おじさん」とは、簡略化出来るし業界のためにするべきところでしない人、ということを意味してると理解した。蹴鞠に申し訳ない気がするけどな。 こういうのと混同して「俺がわからないから業界人が悪い」という謎主張が重なるのは避けられないんだけど、辞めて欲しいとは思うし、「両者の歩み寄りが大事」というのともやっぱり違う。

自由な経済とか言うアレ

なんとなく。経済理論的にどうこう、というのはそこまで深く追求できないけど書いとく。 GDPや貿易の総量を増やしたい場合、関税等を撤廃、人の流れを自由にするのが良い。 ただ、この動きの結果として現在の世界で実際に起きたのが1%への富の集中でもあった。つまり、GDPが増えても特定の国の特定の国民層が納得するわけではない。n人いる国民に対して個々に配分された金銭・福利厚生・社会的満足度等を総合した「幸福度」xi (i=0〜n)を求めて何らかの総和を計算したら、GDP(もしくはお金の総量)は増えてもその「幸福度」はここ数年で大きく減ったと判断する事はできるんだろう。あいにく、恣意的な指標という誹りを逃れられないだろうけど。 人の流れや関税で壁を設けると、理論上GDPや貿易の総量が減り、金銭的な指標で見ると経済が停滞するか衰退する。一方、その壁によって守られる人が生まれ、そういう人は喜ぶし、上のナイーブな「幸福度」も上がる可能性がある。国内回帰を志向するのなら妥当なことであって、そこだけ切り出したら「なんだ、まともじゃん」ということにも出来る (「幸福度」の設定方法ががいい加減だからだけど、素人の肌感覚からしても、おかしいとは感じられない)。 普遍主義への挑戦というのは、どっかのテロ組織の根っこにある宗教にしろ、どっかの国の特定の人種の昔ながらの労働者層にしろ、普遍化で損をする価値観の人が許容できないほど利害が対立したときに起きる。測定基準が経済学者とリベラルが有利なものさしで出来ている中で「この基準に従って理論を構築したらお前らみたいな主張は通らねんだよ」という主張をしても、その基準で損を被った人々は絶対に納得しない。 ただ、運が悪いんだか必然なのだか、地動説と天動説について科学という視点からどちらが正しいのか判断出来るのとは違って、人文系でのこの手の主張の衝突には、科学のような「上から目線」を設定するのがとても難しい気がする。どこまでも人と人の間の物事。これを「めんどくせぇ」と思うと技術決定論・功利主義まっしぐら。 とはいえ「壁」の副作用というのはやはりあるのだろ。壁を設ければ理論の通り、一般的な経済指標では伸びしろが減る。その伸びしろの減り具合は、ダイレクトに株式の平均価格に反映される。株式市場がボラリティを越えて長期的に見れば成長する、という前...

最近のドラゴンボール雑感

手短に 少し前に遡って「神と神」で鳥山明がもとの脚本をひっくり返したのが再進化の始まりだったように思える。 個人的には「このシナリオは原作者以外に書いていいもんじゃない」というレベル。自分の中ではZの映画の(良くない)印象が残っている中で、ドラゴンボールという範囲で一種のカルチャーショックを感じた。「そんなことしちゃって、いいんだ……確かにいいのか……」みたいな ビルス登場で事実上インフレ終結宣言がそこで発生し、「神」シリーズで正式に最上限が決まった。昔は界王様が上限という宣言があって、本当は色々矛盾があるわけだけど。結果、原作者自ら強さのヒエラルキーに飽きているところからも悟空らの上界は破壊神ビルスかウイスに抑えられてる (ウイス姉がまた桁違いに強い、ということにも結局してないし)。 「神と神」のベジータ崩壊と原点である「サイヤ人の王子」設定の尊重は良い。コミック最終版では悟空にほぼ負け宣言しているシーンが(対ブウ戦で)あった気がするが、再び気高き王子になろうとしている。 あいにく同じ映画でビルスがサイヤ人の常識でも古くから上界にあることが明らかになり「あるぇー」という顔になったんだけど、サイヤ人の誇りも破壊神の前にはかたなしか…… なお、「復活のF」のフリーザの反応も、おなじ。 破壊神上限をもとにしてもう一つ上に「戦力外、但し、消せる」設定の最上限を設定している点も地味だけど良い。 フリーザを「潜在能力の塊」という再評価を与えた「復活のF」(もしくは対応するTV回)も良かった。上界がのんびり高みの見物の中で、悟空の本質的な弱さを指摘しているのも乙。 (あんまり関係ないが)フリーザが「最強」枠にいた時期の連載は自分らが小学校でごっこ遊びをする時期にピタリ一致している。「絶対に許さんぞ虫けらども」とか一連のセリフは、よく使った。そのため、自分は心の何処かで今もフリーザ様ファン。アンパンマンを見てもフックブックローを見ても、どこかでフリーザ様を感じる悪しき慣性があるのだ。 注: 声優 そういう意味で、フリーザ様というのは、悟空に負けようがどう本編で料理されようが、どこかしらの領域で何かの頂点を張ってて欲しいのであって、未来トランクスに一刀両断される程度の存在であっては決してならない。その意味でこの「潜在能力」の追加設定は面白いし...

『快楽の館』

篠山紀信、原美術館をヌード写真で埋め尽くす──「快楽の館」へようこそ ヌード写真展というものをほぼ見た経験がないので比較対象もないが、書いとく。 品川駅から南に歩くこと10分〜15分ほど、原美術館は住宅街にひっそり存在する現代アートの美術館。入り口の看板がなければ違和感なく住宅街に溶け込むようにも思える、そういう建物。 入館前の入口付近には下着(?)姿の女性の等身大写真があり、ここまでが撮影可能エリアで立ち入りが出来る。ある意味「リミット」も低くなっており、快楽への入り口を意識させる。 基本的に、撮った空間に隣接する形で巨大なヌード写真が飾られている (入り口付近の写真もそれに倣っている)。そのため、単に写真を写真集などで単体で見るのよりも、「その裸体がここにいた」という感覚でヌードを見ることになる。インスタレーションの一種として見るという考え方があると思う。 写真と実際の空間を交互に見ると、リアルの空間はいわば「もぬけの殻」だ。アダルトというよりも、そこから派生して生まれるモデルの「存在感」が本物の空間から抜け落ちる感覚。美術館が少し古い建物であること、現代アートのための建物であるということからか、抜け落ちる前後を対照させる建物として優れている。常設展示(というよりも単に部屋自体が展示物)になっている部屋に対してもその対比が行われ、やはり、存在感の有無をはっきり感じさせる。特に「ゼロの空間」はじわじわくる。部屋の「ゼロ感」を写真が使いきれてないという気も少しするけど。 これが単に綺麗なオフィスビルだと、どちらかというと「例のプール」に印象が近くなってしまうと思う。「現代アートの少し建付けの古い美術館が、期間限定で快楽の館になる」というストーリーが重要なのだと思う。 30人超の女性モデル。モデル名はスタッフ一覧の一部として入口付近に掲げてあったものの、自分は特に記憶していない(写真撮影が禁止の空間でもある)。知っているモデルは一人しかいない(後述)。 写真をみる限りでは、バレエを彷彿とさせる筋肉美を備えた写真もあれば、現場で見ていて「普通にAV女優な気がする」という雰囲気を醸し出しているモデルも複数人いる。後で調べてみたところ、案の定そのようだった。モデルごとの裸体の「性質」の違いがあり、写真の撮り方は一様でなく、美術館の雰囲気にも対...

アレの雑感

特にTwitter以降フラットに情報を共有される時代になったなぁと思いつつ、色々眺めていると、色々な空間に見えない壁を感じる。壁に囲まれていることに気付かず、その見えない壁の外の現象に辟易しているみたいな人々の発言を見る機会も増えた。本当の問題は壁そのもので、壁を立てるのに加担したのは中の人々。でも壁自体は見えてないから、加担の事実からは事情を汲み取れない。あるいは一部、分かっていてやっている節もある。見えないものはないもの。未知の未知を捉えるのは難しい。 マイナスサムだと、人は虚勢からの勝ち枠ゲットが大事と認識するようだ。勝ち枠が大事で全体のコントロールは不可能と見る。ま、プラスサム時代にもコントロールできていたわけではなく、文字どおり人はお立ち台で踊っていただけだった気もする。そういう意味では9割の人は乗らされているだけとも読める。残り1割のうち9割は分かっていて選択して、波に乗る。最後の人だけで戦うのは……辛かろ。 何書いてんだか分からなくなってきたから止め。

『さよなら絶望先生』

今更ながら全巻読破した。 どうしても時事ネタは古さを感じるものもあるので、その点も間引く必要はあるかも。総理の交代とか震災に絡んだものとかもそう。とはいえ思い出しつつ読める範囲。「あー、そのタイミングでジムノペディ」みたいな逆の発見になる ※ ※ 知らなかったのだが「消失」で3番まで使ったんだとか。ジムノペディは最近『らららクラシック』でやってたし、名曲。 この手のコメディ漫画を一気読みするのは想像以上に精神にクるものがある。正直、当初目的であれば本当に最終話周辺だけで良かった。(30巻エンドに対して)26・27巻あたりから伏線の巻取りを少しずつ進めてる感じなので、1〜5巻、23巻〜30巻とかでも十分だったかも。7年の厚みは実際に7年歳月とともに読みながら年取らないと分からんところあると思う。 しょーもないダジャレの蓄積という意味ではお見事としか言いようないんだけど……良く考えるなぁ。 いないはずのキャラがいる、という話にデジャブあるなと思ったら出来の悪い推理モノだった。絶望先生の方が相応にブラックで綺麗な巻取りかなぁと思う。コメディに対して少し黒すぎる感はあるんだけどな。 今なら「絶望した!選挙結果に絶望した!」ということで色々出てくるはずだ。都、イギリス、フィリピン、そ・し・て「切り札」。すごい、ネタでいっぱいだ。

将棋

最近このブログに何も書いていなかった。 書いてないと全く何もやっていないように見えるかもしれないが、実はまだ一応やっている。目標もオンラインでの実力初段で変わらない。 ただ、後半にも少し書くが、忙しさもあってオンライン将棋に打ち込める状況にない。初段の件も結局は諦めるかもしれない。 ただ、それでも悪あがきのように5手詰の詰将棋をしばしば解いている。なんだかんだで、解く速度があがっていて、でもなんで早く解けるようになったのかが自分でもわからないのが面白い。そのうち7手詰に向かう。 プロがコンピュータを使ったという疑惑あった。いずれ起きる類のトラブルだったとは予想されていたと思う。とはいえ、現在最も格が上(実は棋院の意図としては、竜王 > 名人らしい)で賞金も高い棋戦で最初に起こるというのは、象徴的だ。 プロ将棋は「プロレス」の方向性を帯びるのだと思う。八百長に基づくシナリオが作られるということではなく、将棋という論理パズルの頂点を極めるのがプロではなくなる、ということだ。プロは、ファンを色々な面で魅了するために動き回る存在になる、という意味だ。『中国嫁日記』と『今日の渡辺くん』が同じカテゴリにより近くなる。珍しい人種。もちろん、竜王であるからには珍しさは段違いなはずだが。そのうち地下に邸宅を構えるはずだ。 論理の頂点を極めようとする場合、コンピュータ同士の対戦で新定石ができ、人が検証するという主従逆転が起きるのはあまり驚きではない時代になった。 少し古い将棋マンガを見ると、プロは奨励会3段という壁を越えた別格級のバケモノとして君臨する。『ハチワンダイバー』の冒頭数巻だけ読んだことがあるが、まさしくそういう存在として、その裏世界の将棋があるという設定だったと記憶している。 しかし論理パズルとして見れば、そんな人間の条理に基づく上下の格は関係ない。コンピュータが人間のレベル並、レベル以上に計算しきれるようになってしまったからには、人間は基本的に勝てなくなる。奨励会3段+コンピュータはやがて、良くてプロ棋士の半分以上、もしくは全員をなぎ倒せるようになるし、ルール覚えたての子ども+コンピュータもそうなる。 現代で最も尊敬を集める存命の棋士がいらっしゃるのは御存知の通り。既に功績を残しだいぶ経っているそういう方にとっては、この現象はどう...

「と」

風呂場で風呂桶を洗い、風呂の栓をしてお湯を入れ始めた。2歳にもならない我が子がその一部始終を横で眺めていた。これまでにも何度かあった光景だ。 風呂掃除が終わったので風呂場から出て、リビングの方へ向かおうとしたところで、我が子はついてこなかった。 代わりに、風呂の横に立てられた風呂蓋を指差して「と」「と」と訴えはじめた。必死とは言わないまでも、少し切実な様子だった。 「と」「と」 バナナは「あなな」、ヨーグルトは「よ」、そんな幼児が風呂の蓋を「と」と呼んで指差す。出ておいでと言っても聞かない。「お風呂のお湯は入れ始めたから、もうおしまい。出ようよ」と言っても、聞かない。「と」「と」と指差して何かを主張している。 私は困惑した。それは蓋だよ。戸じゃないよ。はやく向こうに行こうよ…… ただ、このときは運が良かった。 普段なら、私は「お風呂のそうじをしてるんだよ、待ってて」などと説明をしながら、風呂の中を掃除して、湯を出して、最後に風呂の蓋で風呂桶に蓋をしていた。 ……お湯を入れ始めたら、お風呂は蓋で「と」じるものだ。 つまり、蓋をするのを忘れていたのだ。それを2歳児未満は見逃さなかった。 風呂場から出てくるように、さも親らしく注意するギリギリのところで、私はそのことに気づいた。「蓋で『と』じるのね!」と、風呂の蓋をした。すると納得したのか、子は風呂場からとっと出てしまい「おいで」と一言、リビングの方へとことこ歩いていった。 何故風呂に蓋をするのかも、多分分かっていない。でも、安心したのだろう。 少し恥ずかしくなった。出てこいなんて注意するとか、筋違い。 ちょうど今読みかけの本で「聴くことは、とても難しい」と教えられたところだった。 我が子の言葉を「聴く」のはたしかに難しかった。きっと普段から「聴け」ていない。

平等は作るもの

最近著名な某氏がバーク主義的保守主義について言及することが複数あり調べていた所、なるほど自分が求めていた問に対する答え(の一角)を見つけた気持ちになった。 エドマンド・バーク 逆にバークが断固として拒絶した概念は、 “平等”(equality)、“人権”(right of man) 、“人民主権”(popular sovereignty)、“抽象”(abstruction)、“理性”(裸の理性、naked reason)、“進歩”(progress)、“革新”(innovation)、“民主主義”(democracy)、“人間の意思”(will of man)、“人間の無謬性”(perfectibility of man)などである。  (強調筆者) 以降もう少し保守主義的な物の見方を勉強した個人的な理解としては、「 誰が「平等」「人権」を担保するかと言えば人であって、人がそれを所与のものと出来るように頑張りましょう」というのが今の世の中の大前提だ、ということだった。 考えてみれば弱肉強食という世界観では平等や人権というのは存在しない。中世あたりの啓蒙主義の副産物というか、良い副産物として、自然状態から到達するのが難しい理想状態を元にしたトップダウンの概念だ、という解釈で捉えれば現実の世界での生きづらさと平等と人権という、個人的には現実離れしているような考え方がちゃんと繋がる。人類全体で努力せよ、さもなくば得られない。あくまで私の解釈だけど、掴んで決して離さないよう努力しないと、失われるという「脆い」価値観を結構多くの現代人(西洋方面と日本も含めて)は根底に敷いている。脆いことが悪いのではなく、脆いが尊いから、守ろうよ、ということなのだと思う。 守ろうとしている人がどれだけいるか、というのはまた別の問題だし、中年のおっさんの命より新卒美人社員の命の方が重く置かれているかのような反応を世の中が一時的にするのもやはり別の問題だけど、とにかく、人権とか平等という考え方に対して、自分は最近そういう理解をするに至っている。自然状態であるものを守ろうとしても失われる。でも自然状態にないものなら、もっと簡単に失われる。クローズアップ現代+で先日、ジャーナリストの池上氏が「人権という考え方が浸透していないことに衝撃を感じた」といった趣旨のコメントをされて...

成功と失敗の境界

紺珠伝Extraのルナティックインパクトに手を焼いています。 隣のおじさん-大隅良典君(ノーベル生理学・医学賞の受賞を祝して) まず、とにかく、おめでとうございます。 「基礎研究の重要さ」を訴える研究者について、NHKでのオートファジーの紹介が、ことごとくその応用面での期待に偏っていたことに問題の根深さを感じました。私個人としてはオートファジーとオプジーボすら混同する有様なので、イマイチさがはんぱないです。あまり、こういった科学的なお話を出来ないのです。サイエンスZEROは好きです。 応用にばっかり焦点が当たっている、という主張に大いに共感するとともに、失敗に関する論文数が少ない、という主張を全く別の機会に読んだことがある、という話を何故か思い出しました。理由は、特に分かりません。 ある意味、当然といえば当然ですが、失敗した先に道がないというのを示す論文も相応に大事じゃねーの、何ていう話です。もちろん、人々が重きを置くのは成功したことに関する論文でしょうけれども。 以降はさらに話が離れ、研究というよりは単に上の話から連想した成功・失敗に関する雑感です。 失敗してむしろ「賞賛」されるというのは少しおかしいと思いますし、ある程度失敗した人はそのマイナスを受け止めなければならないのは当然と思います。一方同時に、失敗の蓄積から成功の道が生まれる、なんていうこともありますし、ある種のごくごく基本的な失敗をした人が、後で大きく賞賛されるレベルで成長したり、大きな成果を挙げたという例もある気がします。研究室の学生が操作をミスったことが発見に繋がったとき、学生を厳しくとっちめるのはちょっとなんだかなぁ、と素朴な感情としては思います。 今世の中を席巻しているある会社について私が好きなエピソードは(今となっては真偽を確かめられないのですが)、その人々が最初会社を始めた頃、売掛金を知らなかったというものです。その方々が作った会社は「業界の動向 2016」みたいな冊子に堂々と名前が載る著名企業の一角となりました。 失敗した際に「外側」がどう対応するかは難しいと、最近改めて思います。私自身も失敗しておりますが、「正価」を越える罰を受けるのは不公平という気がしますので、嫌いです。とはいえややマゾ気質ですので受け止めるときは受け止めます。 私は自分に対して...

健康診断結果

BMIが正常範囲になった、というかやや痩せよりの普通の値になった。 尿酸値が正常範囲に収まった。これは嬉しい 胃にポリープ (まだ問題ないレベルらしい) 白血球値が正常範囲以下 気にはしてない、というかしている余裕が無いんだけど、余裕が無いことがB判定2つを産んでいる気がする。 痩せた件はごく単純に「炭水化物とりすぎを避けた」「野菜や乳製品の比率を増やした」したからだと信じたいが、黒い可能性として「ストレス」というのもあり得る。痩せたというよりはやつれたのでは、みたいな。 ブラックな話は続けるとサヤカチャンになっちゃうのでここまで。

Qiita雑感

自分が信頼していた英語教育者 (高校〜大学) の中に「英和辞典は上級者向け。初心者は英英辞典を引け」と主張されるものがあった。今振り返っても正しい主張だと思う。 一件矛盾はしているが、私の理解はこうだ。英和辞典からは本来の英単語、イディオムのニュアンスが抜け落ちることがとても多い。lookは「見る」、seeも「見る」、watchも「見る」と書かれているので、初心者なら「どれも見るなので同じか」と解釈するかもしれない。だが、ニュアンスは異なる。 英々辞典でそれが確実に起こらないわけではない。ただし、長々と1つの単語を別の(知らない可能性もある)単語列で説明され、脳の中に英語ベースでの推論と解釈が強制される。これが結局は効く。関連してシソーラスも手元に置く必要をやがて感じるだろう。 そして最後に「もう概ね類語も含めて知ってるよ。で、とりあえず英単語の候補だけ見たいんだけど?」という時に、最後に英和辞典が、日本語ネイティブにとっての最速の「キャッシュ」となる。この順序を間違えるな、というのが「英和辞典は上級者向け」の真意と私は解釈する。 Qiitaはその意味で「英和辞典」の性質が強い。なるほど日本語で記事が出てくる。だがその記事の「ニュアンス」たるやは如何に、といったとき、信頼の出来無いタグと、マイナス評価を受け付けないストック数による「ランキング」だけが頼りになる。そこから本質を引き出す仕事はQiitaでは出来ないことがしばしばである。 十分な練度の日本人技術者であれば、Qiitaと海外の資料をセットにして理解を高速化出来る。これは事実で、私もやる。一方、Qiitaの記事にはハズレがあり、ハズレのストック数が高くなるということもままある。 Qiita内での記事だけで理解を完結し得るだけの良質な記事を量産される技術者も多数いるのは、それもまた事実だ。一方閲覧者として見た場合、その人々がシグナルとして、S/N比のような観点から見ればQiita内の記事の状況は良いとは思えず、結局良質な記事も含めて「起点」以上にQiitaに期待できないマインドセットが出来上がる。 良質な記事を書かれる技術者においては、是非その記事自体から自身がリターンを得られる媒体を考えなおしていただいたほうが良いとすら思える。結果としてQiitaは視聴者目線で見て適正な水準のキャ...

PEP 3119

http://bugs.python.org/issue27724 PythonのAbstract Base Classについて調べていた時、CPythonのCレイヤでPEP 3119に実際の実装との微妙な差があって気になったので本家にIssueを投げてみた。メールでもレスが来るかと思ってたら来ず、改めて今日見直したら5時間で反応があったらしい。反応速度は丁寧だ。 正直、Issueの内容自体は「かなりどうでもいいレベル」だと自分でも分かっていたが、誤りは誤りに見えるので。Pythonの大体処理系を実装する場合にごく少数の人に影響が出る可能性がある、くらい。私含めて、ただのPythonユーザに至ってはまずこの問題で利用時に躓くことはまずない。ただ、ABC自体は知っておいて損はない。 気づいて「ちょーどーでもいー。仕事にも関係なーい」と思ってたのだが、相応に尊敬している技術者が「アホなバグとかでもいいから日本人は積極的に本家にコミットするべきなんだよ。海外のバグレポとかひっどいの普通にあるから事前に気にする意味ない」なんつー話を聞いたのを思い出してあえてやってみることにした。 よく出てくる話題としては、Qiitaで文句垂れるなら公式にバグレポしなよ、というのも関係する話かもしらん。 いやしかしどうでもいいなー……

C90にてTechBoosterの同人誌に寄稿しました

https://techbooster.github.io/c90/ 執筆したのは『The Web Explorer 2』収録「第3章 話している間だけ録音するWeb音声メモアプリを作る」です。対応するデモはここにあります:   https://mowa-net.jp/demos/webrec_demo/ で、上記執筆直後くらいに「Google Cloud Speech API」がβ公開されました。というわけで上のデモを元についでにスクリプトも表示するというデモも作りました:  https://mowa-net.jp/demos/rec_and_translate_demo/ (Speech API自体がそんなに高速でないこともあって、日本語スクリプトが出るのも結構遅いです。のんびりお待ちください。サーバ、落ちてるかもしれないし) 寄稿した文章にはCloud Speech APIについての説明はないですが、併せて参考にしていただければと思います。双方GitHubにソース公開してます。 https://mowa-net.jp/demos/rec_and_translate_demo/ https://github.com/dmiyakawa/rec_and_translate_demo/

東方紺珠伝 完全無欠モード Normal クリア

Normalから弾幕がLunatic級 チェックポイント制「完全無欠モード」がデフォルト。小刻みの死に戻しで4.00攻撃力MAXに対して死亡時デメリットは攻撃力 -0.01 (MAX -0.50で以降デメリット無し)。ほぼ無制限でやり直し可能という意味。 すなわち「東方アイワナ伝」 スペルプラクティスがない 小刻みに進めてNormalクリアに1週間 (一日辺り30分未満とかそういう感じ) くらいかかった。以前のように6面通してプレイする時間自体が貴重なので「アイワナ化」は助かるっちゃ助かる。ただ、この完全無欠モードはルールの関係もあってリプレイを残せない。 今までの気分でNormalやってると「(゚Д゚)ハァ?」という弾幕がボコボコ来るので動揺する。レガシーモード(いつものルール)でもプレイできるが、Normalもクリアできる気がしない。50回死んでようやくパターン掴めてきて100回越しで攻略した「グレイズ・インフェルノ」とか、気分的にはどうみても従来基準で言うNormalではなかった。 #リプレイ動画とか見ると簡単そうなんだが、高速移動と低速移動のバランスを崩すとあっという間に潰されるのだよ…… スペルプラクティスがないのがどうもExtraに響くようだ。Extraは今までのルールなので、スペルプラクティスで個別スペルを抑えていく事ができないとなると、今の生活リズムでは時間的にクリア出来ないかもなぁと落胆。 東方にしては珍しくシナリオがマジ寄りな気がする。いや、だからシリーズ史上最高難易度とかいう煽りが成立するらしいんだけど。 個人的なおすすめ度としては「忙しくなった元東方プレイヤーにはまぁまぁオススメ」くらい。完全無欠モードは途中再開の障害も少ないので俺みたいなじじいにとっては悪く無い試みに思えた。ただ、スペルプラクティスがないのは個人的には最大レベルのカナシミ。

告知: 技術書典で「もわねっとのSAML同人誌」を頒布します (サークルもわねっと B-05)

https://techbookfest.org/ SAMLというのは一部界隈で使われるいわゆる「認証」技術の1つです。今回は試みの1つとして、同人誌として一冊出してみることにしました。 内容は筆者の復習を兼ねた「SAML入門」的な内容と「Shibboleth IdPをv2からv3へ移行するときの話」の二点です (章の名前は違います) 他にもネタがあったんですが時間がたりませんでした orz 表紙併せて20pの中綴じ本です。20部刷ります。一冊500円です 全部売れても綺麗に赤字です。てへっ 「技術書典」運営提供のPODシステム全てを使います。 当日売り切れても配送料払えば買えます。 内容の巧拙については同人誌という媒体でもあるのであんまり厳しい目で見ないで頂けると、嬉しいなぁ。頑張って調べたけど。 イベント「技術書典」のスタッフも兼ねているんですがそっちが色々と大変で、告知と準備が遅れに遅れました。もし告知タイミングのせいで「買いたいのに買えない」みたいな方がいたら教えて下さい。もし余らなかったら、その分刷っておきます。 今回は普段参加させてもらっているサークルTechBoosterへの寄稿ではなくあえて「サークルもわねっと」で出しているのにも一応理由があるんですが、それは後日。

『武士の家計簿』

埼玉で友人の結婚式。行き帰りに読む本は一応用意していた、が、酔った帰りにまで読みたいタイプのものではなかった。選書の失敗。 で、ふと『武士の家計簿』を電書で読み流した。この本は面白かった。 本著に自分が興味を持ったのは「100分 de 名著」の司馬遼太郎回で、著者の解説の様が面白かったからだ。本著も期待通りというか期待以上だった。 武士階級から維新後に士族階級になった際、その階級の人々は勝ち組と負け組に大きく分かれた。8割強は生活の基盤を大きく破壊された。新時代に対応できる技術を持ち、新政府に重用されたり商売のような他分野で生き残れた士族だけが、窮地から逃れられた。 本著の主役格である猪山家は「加賀百万石」の加賀藩で算盤勘定に才能を見出された家系だ。家族もまたそのような役割で家系を維持することを意識し、子供に算盤勘定、あるいは今で言えば会計処理について英才教育を施した。気をつける点として、商人の当時の扱いなどを歴史で勉強する範囲でも察せられる通り、武士階級からするとそろばんというのは相対的には疎まれる技術だったということがある。 この算盤勘定に始まる数字を管理する力は、結果として時代の変化の中で同家を有利にした。この能力を持つ同家の人間は、維新後の新プロジェクトや軍隊の兵站にも役立つことになった。結果として、紆余曲折はあるものの、猪山家はどちらかと言えば維新後にも大きく飛躍した家系となったという。 一方、藩の中では役だった家柄やらなんやらは、維新後には役にたたず、そういうのに頼るばかりの士族は没落した。商売を疎む性向から、看板を出さずに商いをして沈没……とかいう例も書いてあった気がする。それ、猪山家の親類なんだけど。 軽く言えば「特定の時代に束縛されない知識・経験は大事」といったところだろーか。素人の自分がわざわざ醜態をさらすべく要約に挑戦するのはここまでにする。 この本には上のストーリーラインと同時進行で、武士階級の生活の生々しい現実のようなものが描写されていて、雑に言えばテーマが「多層的」という面があって、これも本の味を増す要因になってる。そっちはここでは省略。 本著で個人的に気に入ったのは次のエピソードだ。子供の成長のお祝いとして本来大鯛を用意しなければならない時に、あまりに家に金が無いので、仕方なく鯛の絵を描いて代わりにし...

Firefoxを試し、Chromeにまた戻るの巻

移行について、惜しいところまで行ってると思った。惜しかったので、惜しい。 個人的にはChromeを使うのはそろそろ避けたいのだけど、幾つかの点で操作性に難があったのでChromeに戻った。この試みは今後も不定期にやることになるんだと思う。 厳しいなぁと思った挙動の違いは以下のとおり。 (以下の機能についてFirefoxで対応する方法をどなたかご存知であれば教えて下さい) Chromeで「その他の検索エンジン」に検索エンジンでなくショートカットを追加するハックに対応する機能。例えば「e word」とかやると英辞郎でwordを検索する、といったハックがパット見、出来ない Firefoxのブックマークに「Keyword」というのがあって少しだけ似ているのだけど、致命的なことにSyncしないし検索しない Ctrl-k に対する Ctrl-p  Ctrl-y が機能しない。Ctrl-kの挙動自体も違う このMac標準の動作 (emacs「風」動作) 、Microsoft製品も一律にこれを殺すんだけど、そんなに嫌かしら…… FirefoxだとCtrl-kが論理的な「カーソル位置から1行」ではなく画面上の「カーソル位置から1行」を切り取ることがあってビビる。なんだこれ…… Google Hangoutでplaceholderとタイプ中の文字が被るバグがある ブラウザとページのどっちのバグかは分からない 大量にタブを開いた時の挙動が違い、調整できない Chromeスタイルだと1個1個のタブがだんだん小さくなる。Firefoxだとタブ自体は小さくならず、スライドして移動させる。たくさんのタブを開きっぱにするとFirefoxだと結構早々と目標を見失う iMac 5kくらいの広い横幅があるとChromeの挙動のほうが助かる。Note PC系だと大差ないかも Firefoxに最初からプラグインがバンドルされてるくさいPocketというサービスは個人的に試してみたい感じだったので、逆輸入してChromeで使うことにした。 追記(2016-06-04 22:16) Google+にてコメント頂いて一部解決した。あざました! %sを使うと検索出来るとのこと。Syncの有無は、不明 Ctrl-pじゃ↑じゃない...

強いAIについて夢想したいなら読んでおきたい『脳が認める勉強法』

最近バズワード化した「AI」とやらについて自分も見聞きする機会が増え、自分も色々、答えたりすることがある。IT関係者はしばしばPCの修理を親戚にタダで依頼されるのだけど、今後は親戚からもAIについても詳しいと勘違いされる可能性が高い。 機械学習を起点にしたアルゴリズム群は優秀だけど、そのままでは将来的にも人間に近い、いわゆる「強いAI」になることはないし、感情を理解出来てなかった1ロボットが、ガキとのコミュニケーションの末、溶鉱炉に沈むときに親指を立てて未来のリーダーにエールを送れるようになったりも、しない。そういう話は、長年研究している専門家や実務家が各所でとっくに、もっとちゃんと説明してるので、ここで書くことも、しない。 最近「強いAI」について考えるときに一つ「なるほどなぁ」と思ったのはAIについての本ではなくて『 脳が認める勉強法 』という本だった。この本は素晴らしい。おすすめ度は個人的に最高レベルの「うまいもんだなあ!」(ドラえもん) この本は、最近までの脳に関する研究の紹介と、それを元にした効率的な記憶方法・勉強方法・問題解決方法についてのヒントを読者に与えてくれる。ちなみに、巻末にすごく簡単に、要するにどうやれば効率的に勉強が捗るかなど有益なQ&Aがあるので、勉強方法にだけ興味があれば、ちらっとそこだけ読むのもオススメだ。 大事だと思ったのは、もし自分みたいに(強い)AIについて夢想する人が、脳について「エビングハウスの忘却曲線」レベルまでの研究しか知らなければ、永久に良い夢想をすることは出来ないということだ。 詳しくはこの本を読んで、場合によっては書いてある「実験」で体感して欲しいのだけど、要するに、脳というのは単純に物事を「忘れていく」のではない。右脳と左脳の連携と、記憶蓄積その神経接続を複雑に入り組ませて、大量に柔軟に記憶を実生活に応用できるようにできている。 脳をモデル化するにしても、稚拙な方法で脳を模倣するようなら、人間の柔軟性に近づきようはないように感じられる。脳は更に、本書が言うとおり、現在の研究が追いついているよりも、さらに複雑な何かをやっている。全容が分かっていないものの一部を理解したってうまく模倣できないのは当然であるけれども、分かっている部分を知っておかないのは、やっぱり夢想家と...

さっさとFIDO化してほしい

単なる愚痴。 C89でFIDO U2Fについて、調べつつ書いた。 https://techbooster.booth.pm/items/178228 ひとことで言うと「さっさとOTPとか言うクソ文化消えてしまえ、といえるぐらい、FIDOは将来、認証を楽にするだろぅ」という話を憶測混じりに書いた。 この時に検証で買った指紋認証付きFIDO U2Fデバイスは、デバイスとしては本当に「不完全」だが、未来を強烈に感じさせるデバイスとして、私の机の上に転がしてある。しかも実用されている。 机の上に転がしっぱなしで、仕舞う気にならない。良いのだ。 時々Google様がWeb認証で「2段階目もやれよぅ(´・ω・`)」と言ってきた時、この机で作業している時にはOTPなんぞ使わない。そのデバイスで指紋をスキャンするだけだ。Dropboxでも事情は同じだ。 Web上での実装パターンが一通り固まってきているおかげで、2要素目の認証方式でOTPとFIDO U2Fを両方登録してあって不都合が起きるケースはない。 くだんのFIDO U2Fがあれば話は早い。指紋認証めで2要素目は通る。おしまい。 FIDO U2Fのデバイスがなければ、仕方ない、自分はわざわざスマホを取り出してOTPアプリを起動して12個に及ぶOTPから適したものを目で探しだしてキーボードにぱちぱち打ち込む。この未来は上の記事にも書いた。OTPをWebサービス各社がサポートすれば、OTP管理はくどくクソのようなものになるのは予想できる。そのうちこのOTPの群れは一人あたり30に膨れる。ポイントカードみたいなもんだ。 #調べてみたら上記同人誌の記事執筆時点では「6個」だった。半年で二倍だ。 U2Fで上のようなことは、ない。 ない。 技術上、一つのデバイスで異なる秘密鍵を自動生成し、安全に2要素認証めを通り越す。二人いれば二人に違う秘密鍵を割り当てる。同じデバイスでも良いのだ、1段階目で識別されたユーザが違うとき、ハードウェアは別の鍵を使うことを、FIDOのハードウェアは選べる。 # ここまではYubiKeyや飛天のデバイスですぐに出来る未来だ。 # 加えて上の「指紋認証付きU2Fデバイス」が個人的にお気に入りになったのは、YubiKeyと違って机の上に転がしておいても、脅威が減...

将棋ウォーズ2級になった (3分切れ負け編)

http://shogiwars.heroz.jp/users/dmiyakawa http://dmiyakawa.blogspot.jp/2016/01/2.html 前回は10分切れ負け、今回は3分切れ負け。 10分でも短いと感じるのだが、3分は本当に短い。中盤辺りから切れ負け勝ち・負けを意識して双方強引な手が目立つようになるし、こちらが明らかに勝ってても切れ負けしたり、その逆になったりする。 正しいと信じられる手ではなくて、「ひと目」勝負になる。ので、理屈よりは感覚が9割くらい。1試合中、まじめに考えられる手が3手あったら御の字、みたいな雑なことになる。 少し面白いと思ったのは、なんとなく打っていても、以前より3分切れ負けで強くなってるんだなぁ、ということ。単なる勢いでしかないのだけど、例えば「相手は美濃囲いこちら舟囲い持ち駒歩二枚桂これなら端攻めだドーン」という判断が1秒程度で出てくるようになると、3分切れ負けでもその手筋は使えるようになる。脳内キャッシュに良い形を大量に詰め込んでおくこと以外に方法がない気がする。 目標初段からすると両方やる意味はあんまりない気もする。 10分切れ負けでも2級達成度は以前より上がっているのだけど、1級にはもう少しかかりそうな印象。ポカやハメ手やらで負けるというよりは、純粋な読みの力で負ける試合が増えている。将棋ウォーズ初段はやはり初段以上だよなぁという気分。 そういえばNHKでプロの1分切れ負けとかやってたが、あれは更にヤバい。

[将棋] 序盤対策本

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再開した時が3〜5級として、そのときに読む本には結構困った。今でも困る。 最初に手にとったのは『先崎学のすぐわかる現代将棋』。この本はそもそも2000年くらいまでの将棋を知らないと「現代」が分からんので、自分みたいな将棋再開時の本としてはかなり厳しかった。 次に参考にしたのが『渡辺明の居飛車対振り飛車』。これは今 (2級) ちょうど良い感じで、参考にする。ただ、やはり最初読んだ時は内容が理解できず困った。 この本の第一巻冒頭は後手が☖4四歩型 (角道を止めるタイプ)の中飛車についてで、表題は「急戦はなぜダメか」。これを読んだ時、急戦と持久戦の違いも良く分かっていない状況だったので「何を言ってるんだ?(´・ω・`)???」という状態。しかもこの形、対戦しててまず相手が指さない。本書の途中でゴキゲン中飛車の説明が出てくるあたりから、「おー、この戦法は見たことがあるな」という流れになる (『すぐわかる現代将棋』はゴキゲン中飛車から始まる) どこがゴキゲンなのか この『渡辺明の居飛車対振り飛車』という本、二巻の四間飛車編から読むほうが流れが分かりやすいと思った。一巻の「中飛車・三間飛車・向かい飛車」より1つの後手戦型に厚みのある説明もしている。そもそも本全体の元ネタはNHKのテレビ講座とかなので、少し知っている人向けの話で、最初に読むには辛かったのも納得。どの振り飛車側戦型にしても、先手の作戦として「急戦 -> 持久戦(ほぼ居飛車穴熊) -> 振り飛車側の対策 -> そして」みたいな方向で話が進むのだけど、読んでて二周目くらいでようやく理解した。 将棋の本は割と適切なレベルの本を探すのが難しいと感じる。「将棋を始めよう」的な本まで行くと、説明が「みのがこいとはこういうものです」みたいなところまで行ってしまい、自分のレベル感からすると行き過ぎ。一方「完全ガイド」みたいのは逆に全体像を理解する前に個別の変化を丁寧に説明し始めてしまい、やはり覚えられない。 プロが自分の戦型について解説するためだけの本というのも山程あり、こういうのは、基礎がないと読んでも全く意味がない。たとえば急戦矢倉の本など、矢倉の基本形以前に初手〜数手で角換わり・相掛かりといった戦型から選ばされている事実を知らずに読んでも実戦での効果が薄い、とか(当たり前)...

将棋ウォーズで2級になった

これで公式の免状ももらえる(買える)らしいので、将棋連盟2級相当の実力なんだろう。 コンピュータ将棋が強くなっているのでやる意義が、というのはあるんだけど「車が速いからといってランニングの愉しみってあんまり変わらんよね」みたいなのと似たノリ。もともと子供の時に少し興味があってやっていて、でも結局大して勉強できていないある種の負い目があるのだった。 せっかくなので目標としては「対戦で勝ち取って」の初段なんだけど、対戦である関係でなかなか大変。不得意とかあるとゴリゴリ負ける。初段になるだけならポイント制の雑誌への投稿の方が楽そうなんだけど、敢えて対戦して取ってみたい。まぁ、趣味だしね。 ネット対戦で相手と当たるのは良い。不利になると露骨に「通信不調」から逃げていると思しきプレイヤーにあたるとか、バランスが滅茶苦茶な(序盤が糞なのに受けだけ異様に固い、みたいな)コンピュータとあたるとかいう問題はあるとはいえ、人がいる(という幻想)は良いと思う。相手が使う戦法のバリエーション的にも良い。ローカルで動くコンピュータ将棋くらいだといかにもコンピュータみたいなクセが目に見えることはやはりあるし。 ゲームのルール上、最初は30級から初めて急速に級を上げ、実力に近いところで止まるようになっている。自分は3級で止まった。大体適正な級位なんだと思う。2級までは意外に遠かった。 まずルールで躓く。10分「切れ負け」というのが辛い。てっきりNHK将棋みたいな追加の30秒があるのかと勘違いしていた。10分がなくなると即負け。勝勢でも負け、みたいの自体が新鮮だった。ちなみに3分切れ負け、もあってそっちでも自分は「3級」になっているが、ここでは省略。 3級以上は数をこなしても上がらないことがわかったので、本を読むなどして勉強するが、当初はイマイチ伸びなかった。詰将棋3手詰めを500題程度解いて間違った問題を繰り返しやり直す辺りで将棋の駒の操作がスッとスムーズになった。 序盤、中盤、終盤というラフな区切りがあるときに終盤を勉強しようと言うお勧めを当初無視して序盤を勉強していた。でもあまり効果がなかった。というのも、そもそも駒の使い方、駒の「味」みたいのが全く理解出来ていないのが問題だったんだと思う。序盤は「作戦勝ち」と言うように、駒の位置、活用具合で優勢・劣勢が判定される...