将棋
最近このブログに何も書いていなかった。
書いてないと全く何もやっていないように見えるかもしれないが、実はまだ一応やっている。目標もオンラインでの実力初段で変わらない。
ただ、後半にも少し書くが、忙しさもあってオンライン将棋に打ち込める状況にない。初段の件も結局は諦めるかもしれない。
ただ、それでも悪あがきのように5手詰の詰将棋をしばしば解いている。なんだかんだで、解く速度があがっていて、でもなんで早く解けるようになったのかが自分でもわからないのが面白い。そのうち7手詰に向かう。
プロがコンピュータを使ったという疑惑あった。いずれ起きる類のトラブルだったとは予想されていたと思う。とはいえ、現在最も格が上(実は棋院の意図としては、竜王 > 名人らしい)で賞金も高い棋戦で最初に起こるというのは、象徴的だ。
プロ将棋は「プロレス」の方向性を帯びるのだと思う。八百長に基づくシナリオが作られるということではなく、将棋という論理パズルの頂点を極めるのがプロではなくなる、ということだ。プロは、ファンを色々な面で魅了するために動き回る存在になる、という意味だ。『中国嫁日記』と『今日の渡辺くん』が同じカテゴリにより近くなる。珍しい人種。もちろん、竜王であるからには珍しさは段違いなはずだが。そのうち地下に邸宅を構えるはずだ。
論理の頂点を極めようとする場合、コンピュータ同士の対戦で新定石ができ、人が検証するという主従逆転が起きるのはあまり驚きではない時代になった。
少し古い将棋マンガを見ると、プロは奨励会3段という壁を越えた別格級のバケモノとして君臨する。『ハチワンダイバー』の冒頭数巻だけ読んだことがあるが、まさしくそういう存在として、その裏世界の将棋があるという設定だったと記憶している。
しかし論理パズルとして見れば、そんな人間の条理に基づく上下の格は関係ない。コンピュータが人間のレベル並、レベル以上に計算しきれるようになってしまったからには、人間は基本的に勝てなくなる。奨励会3段+コンピュータはやがて、良くてプロ棋士の半分以上、もしくは全員をなぎ倒せるようになるし、ルール覚えたての子ども+コンピュータもそうなる。
現代で最も尊敬を集める存命の棋士がいらっしゃるのは御存知の通り。既に功績を残しだいぶ経っているそういう方にとっては、この現象はどう映るんだろうと思ったりする。AI系の番組に出ていたりもするので、興味はあるはずだ。
個人的には、すごく不謹慎な例で言えば、勤め上げた定年後、中国外資に自社が売却される様子を見る引退世代の気持ちに少しだけ近いのかもしれない、と予想した。最も脂が乗っていた時代の自分の功績は決して脅かされないことだけは確かだ。当時をやや懐かしく、少し寂しさを感じながら、しかし周囲からの偉大性の評価は変わらないからある意味超然として、プロとしての生き死にには無頓着に、引き続き本人は自分の興味を追い求めるだけで良い。
ただ、時代が時代なら同じ格を張れたほどの天才若手が今生まれていたとして、その方々が同じような道をたどることは決して無い。むしろ、同じ道を辿ろうとするならば苦労するように思われる。当時はそういうものだったとして敬意を表しつつも、別のプロを演じる。人と指すより、コンピュータに教えを請う方が良いとする、人間味に疑問を感じるプロになるか……さもなくばギターもシンセも演奏できるマルチタレントのプロ、何か対人受けする新しい世代のエンターテイナーになるか。それとも他の道があるのだろうか?
#実際にはプロの仕事には解説も含まれるから、以前から話上手でなければ仕事に差し障りがあるというのはすでに1つのプロの側面あったらしい。木村一基八段の負けたときに言ったという「こんなことなら家で寝てればよかった」といったエピソード(要出典)も、別に新しいものではないが、私は好きだ。
ところで、アマ将棋に昨今のAI事情はあんまり関係ないと思っていたのだが……。昨年あたりから将棋をやり直しはじめて、序盤があまりに出来上がりすぎていることには驚いた。
AI……というよりもインターネット時代の情報共有が、プロ(とAI)による序盤の分析を超高速化させたことはプロ棋士の著作からも感じられる。昔は、棋譜が本部にしかなかったしFAXがギリギリという時代だったわけだから進化は今ほど早くなかったが、今は当日分析され始める。
副作用として、アマのレベル、それもネット将棋の2級でも、序盤は相応に覚えゲーか、さもなくば嵌め手筋を回避するゲームになっているような側面がある。制限時間が短いから、覚えていると余計に有利なのだ。10分切れ負け(NHK将棋みたいに持ち時間消費後の30秒カウントなし)将棋ならまだしも、3分切れ負けなどだと、覚えていなければ即死という局面を相手が知っていたりすることにも備えなければならない。角換わりは角を打ち込まれるスキがないかをいちいちチェックしていると死ぬ。横歩取りには素人では気づかない穴のある攻め手順があり、それ知らない2級ならまず死ぬ、など。
見てる分には良い。やってるとこれがしばしば辛い。結局奇策はないか、というところに目が行き、奇策は奇策で覚えゲーの側面があるから、将棋をやっている感覚が薄れてしまう。見るだけの人がお得という側面は、たしかにある。ま、覚えゲー上等だし、棋力のケタが違えば少し知らなくても逆転はできるだろう。とはいえ、それをやるだけの時間が取れない……
せめて、プロの行く道がたまに二歩を打つことであってはほしくないな。しかし、ルール違反とはいえ目立つからな。
書いてないと全く何もやっていないように見えるかもしれないが、実はまだ一応やっている。目標もオンラインでの実力初段で変わらない。
ただ、後半にも少し書くが、忙しさもあってオンライン将棋に打ち込める状況にない。初段の件も結局は諦めるかもしれない。
ただ、それでも悪あがきのように5手詰の詰将棋をしばしば解いている。なんだかんだで、解く速度があがっていて、でもなんで早く解けるようになったのかが自分でもわからないのが面白い。そのうち7手詰に向かう。
プロがコンピュータを使ったという疑惑あった。いずれ起きる類のトラブルだったとは予想されていたと思う。とはいえ、現在最も格が上(実は棋院の意図としては、竜王 > 名人らしい)で賞金も高い棋戦で最初に起こるというのは、象徴的だ。
プロ将棋は「プロレス」の方向性を帯びるのだと思う。八百長に基づくシナリオが作られるということではなく、将棋という論理パズルの頂点を極めるのがプロではなくなる、ということだ。プロは、ファンを色々な面で魅了するために動き回る存在になる、という意味だ。『中国嫁日記』と『今日の渡辺くん』が同じカテゴリにより近くなる。珍しい人種。もちろん、竜王であるからには珍しさは段違いなはずだが。そのうち地下に邸宅を構えるはずだ。
論理の頂点を極めようとする場合、コンピュータ同士の対戦で新定石ができ、人が検証するという主従逆転が起きるのはあまり驚きではない時代になった。
少し古い将棋マンガを見ると、プロは奨励会3段という壁を越えた別格級のバケモノとして君臨する。『ハチワンダイバー』の冒頭数巻だけ読んだことがあるが、まさしくそういう存在として、その裏世界の将棋があるという設定だったと記憶している。
しかし論理パズルとして見れば、そんな人間の条理に基づく上下の格は関係ない。コンピュータが人間のレベル並、レベル以上に計算しきれるようになってしまったからには、人間は基本的に勝てなくなる。奨励会3段+コンピュータはやがて、良くてプロ棋士の半分以上、もしくは全員をなぎ倒せるようになるし、ルール覚えたての子ども+コンピュータもそうなる。
現代で最も尊敬を集める存命の棋士がいらっしゃるのは御存知の通り。既に功績を残しだいぶ経っているそういう方にとっては、この現象はどう映るんだろうと思ったりする。AI系の番組に出ていたりもするので、興味はあるはずだ。
個人的には、すごく不謹慎な例で言えば、勤め上げた定年後、中国外資に自社が売却される様子を見る引退世代の気持ちに少しだけ近いのかもしれない、と予想した。最も脂が乗っていた時代の自分の功績は決して脅かされないことだけは確かだ。当時をやや懐かしく、少し寂しさを感じながら、しかし周囲からの偉大性の評価は変わらないからある意味超然として、プロとしての生き死にには無頓着に、引き続き本人は自分の興味を追い求めるだけで良い。
ただ、時代が時代なら同じ格を張れたほどの天才若手が今生まれていたとして、その方々が同じような道をたどることは決して無い。むしろ、同じ道を辿ろうとするならば苦労するように思われる。当時はそういうものだったとして敬意を表しつつも、別のプロを演じる。人と指すより、コンピュータに教えを請う方が良いとする、人間味に疑問を感じるプロになるか……さもなくばギターもシンセも演奏できるマルチタレントのプロ、何か対人受けする新しい世代のエンターテイナーになるか。それとも他の道があるのだろうか?
#実際にはプロの仕事には解説も含まれるから、以前から話上手でなければ仕事に差し障りがあるというのはすでに1つのプロの側面あったらしい。木村一基八段の負けたときに言ったという「こんなことなら家で寝てればよかった」といったエピソード(要出典)も、別に新しいものではないが、私は好きだ。
ところで、アマ将棋に昨今のAI事情はあんまり関係ないと思っていたのだが……。昨年あたりから将棋をやり直しはじめて、序盤があまりに出来上がりすぎていることには驚いた。
AI……というよりもインターネット時代の情報共有が、プロ(とAI)による序盤の分析を超高速化させたことはプロ棋士の著作からも感じられる。昔は、棋譜が本部にしかなかったしFAXがギリギリという時代だったわけだから進化は今ほど早くなかったが、今は当日分析され始める。
副作用として、アマのレベル、それもネット将棋の2級でも、序盤は相応に覚えゲーか、さもなくば嵌め手筋を回避するゲームになっているような側面がある。制限時間が短いから、覚えていると余計に有利なのだ。10分切れ負け(NHK将棋みたいに持ち時間消費後の30秒カウントなし)将棋ならまだしも、3分切れ負けなどだと、覚えていなければ即死という局面を相手が知っていたりすることにも備えなければならない。角換わりは角を打ち込まれるスキがないかをいちいちチェックしていると死ぬ。横歩取りには素人では気づかない穴のある攻め手順があり、それ知らない2級ならまず死ぬ、など。
見てる分には良い。やってるとこれがしばしば辛い。結局奇策はないか、というところに目が行き、奇策は奇策で覚えゲーの側面があるから、将棋をやっている感覚が薄れてしまう。見るだけの人がお得という側面は、たしかにある。ま、覚えゲー上等だし、棋力のケタが違えば少し知らなくても逆転はできるだろう。とはいえ、それをやるだけの時間が取れない……
せめて、プロの行く道がたまに二歩を打つことであってはほしくないな。しかし、ルール違反とはいえ目立つからな。
○○棋士、10戦連続で終盤に二歩!二歩です!さらに、たった今!将棋連盟から重大な発表が!○○棋士なる者、プロ棋士として存在していなかったとのこと!そういう展開は野球マンガだろうが将棋マンガだろうが、見たくないな。