『イミテーション・ゲーム』
ソフトウェアに関わる人なら見て欲しいし、関わらない人にも見て欲しいと思った。第二次世界大戦中のドイツが使った暗号機「エニグマ」の解読器を作ったアラン・チューリングの話だ。
とはいえ、エニグマそのものの技術的詳細は、あまりない。『暗号解読』のたぐいのほうが詳しい。物語で示されるのは、あくまで「天文学的な組み合わせがあって、一日の暗号を2000万年かけないと全探査は無理である」といった象徴的なメッセージにとどまる。これが逆に好都合で、要は技術的詳細ではなく天才性際立つ物語仕立てになってるということだ。『暗号解読』単体では、分野外の人だとそれなりに物好きでないと読破できない気もする (自分の大学在学時点で存在した本なのだが、自分は本の厚さから敬遠していた)。
映画の良い所は、解説するべき問題の複雑さを最低限で説明できていること、その解読過程がヴィジュアルに出ていることだと思う。ただ、自分がイメージしていたのと比べると、この映画はちょっと劇的過ぎる気はするw
地味なのだがビジュアルはクるものがある。エニグマ解読器の機械的な動きには畏怖を覚えた。「止まった瞬間」(解が出た瞬間)の静寂にそう思った。ソフトウェア開発でも、手の込んだ手続きの最後、標準出力にヘロっと解が出てプロンプトが再表示される瞬間に「おおっ」と思うことはあるが、この手の機械の「ピタッ」は、なんというか、ヤバい。
#ちなみに物語の演出上、劇中の解読器は本物よりも大きく出来ているそうだ(参考)。
とは言うもののこの映画、「エニグマ暗号解読」や「チューリングの業績」そのものよりは、チューリングの天才性と同時に持っている、なんというか「非凡」「普通じゃない」「ヘン」といった部分による社会との軋轢がメインテーマになっている。チューリングテストこそ少し出てくるもののこれはドラマ的演出で、計算機の基礎理論を築いた点の解説はほぼゼロだったりした。
子供の頃から死ぬまで続く、天才性と当時決して認められなかったチューリングの性癖に起因する人としての戦いが、物語の中心だと思う。チューリングがすごいのは今に始まったことではないのだが (50年以上優に過ぎてる)、LGBTのコンテクストで今の世の中に意見申し上げる、という部分はあるのだろう。もちろんこれも新しい話じゃないんだけど、今は特に「機運」みたいなのがある気がする。天才が42歳という歳で亡くなった原因をそこに見出して社会の不寛容を嘆く、というのがこの映画の趣旨ではないのだが、一石を投じる目的はあるのだと感じる。難しいのはこの天才は決して「普通」ではなく、一般人には受け入れがたい側面もある、というところだろうか。映画でも様々な部分で表現されているが、正直、隣にこのレベルの人がいて一緒に仕事していても、自分はその行動に対して余り寛容にはあまりなれない。
何度も見ると色々発見できそうだが……
とはいえ、エニグマそのものの技術的詳細は、あまりない。『暗号解読』のたぐいのほうが詳しい。物語で示されるのは、あくまで「天文学的な組み合わせがあって、一日の暗号を2000万年かけないと全探査は無理である」といった象徴的なメッセージにとどまる。これが逆に好都合で、要は技術的詳細ではなく天才性際立つ物語仕立てになってるということだ。『暗号解読』単体では、分野外の人だとそれなりに物好きでないと読破できない気もする (自分の大学在学時点で存在した本なのだが、自分は本の厚さから敬遠していた)。
映画の良い所は、解説するべき問題の複雑さを最低限で説明できていること、その解読過程がヴィジュアルに出ていることだと思う。ただ、自分がイメージしていたのと比べると、この映画はちょっと劇的過ぎる気はするw
地味なのだがビジュアルはクるものがある。エニグマ解読器の機械的な動きには畏怖を覚えた。「止まった瞬間」(解が出た瞬間)の静寂にそう思った。ソフトウェア開発でも、手の込んだ手続きの最後、標準出力にヘロっと解が出てプロンプトが再表示される瞬間に「おおっ」と思うことはあるが、この手の機械の「ピタッ」は、なんというか、ヤバい。
#ちなみに物語の演出上、劇中の解読器は本物よりも大きく出来ているそうだ(参考)。
とは言うもののこの映画、「エニグマ暗号解読」や「チューリングの業績」そのものよりは、チューリングの天才性と同時に持っている、なんというか「非凡」「普通じゃない」「ヘン」といった部分による社会との軋轢がメインテーマになっている。チューリングテストこそ少し出てくるもののこれはドラマ的演出で、計算機の基礎理論を築いた点の解説はほぼゼロだったりした。
子供の頃から死ぬまで続く、天才性と当時決して認められなかったチューリングの性癖に起因する人としての戦いが、物語の中心だと思う。チューリングがすごいのは今に始まったことではないのだが (50年以上優に過ぎてる)、LGBTのコンテクストで今の世の中に意見申し上げる、という部分はあるのだろう。もちろんこれも新しい話じゃないんだけど、今は特に「機運」みたいなのがある気がする。天才が42歳という歳で亡くなった原因をそこに見出して社会の不寛容を嘆く、というのがこの映画の趣旨ではないのだが、一石を投じる目的はあるのだと感じる。難しいのはこの天才は決して「普通」ではなく、一般人には受け入れがたい側面もある、というところだろうか。映画でも様々な部分で表現されているが、正直、隣にこのレベルの人がいて一緒に仕事していても、自分はその行動に対して余り寛容にはあまりなれない。
『暗号解読』にもあったと思うが、情報が人の生死を握った戦争だったことも鮮烈に描かれている。解読後のチームは、戦争中の人の生き死にを、一部であれコントロール出来る存在になってしまった (本当のところはエニグマも改良されてそんな単純ではなかったと聞いたんだけど)。サイバー戦争という表現があるが、原型は当時にはとっくに始まっていたのだろう。平凡に言うと「インテリジェンスの重要性」みたいな感じになる。お話としては、MI-6のダンナが地味に無双すぎるので、ゲームバランスは考えて欲しい。いやまぁ多分ここも「この物語は真実に基づく」のだ。
全体的に紋切型の結論を出しづらい映画で、見てよかったと思う。良くないと思うのは、こういうのを見ると普段やってるコーディングが馬鹿らしく感じてくることなんだよね。
○ 蛇足: 英語
何度も見ると色々発見できそうだが……
全体的にイギリス訛りが良い。それ以外の英語上の特徴は自分にはそれほど良くわからなかった。毎度のことなのだけど、英語字幕で上映して欲しい。てか海外の映画館行きたくなる……
当時のComputerは「計算士」とでも呼べる「人」のことを常識的に差していたはず。チューリングが「Electric Computer」と表現した瞬間の訳は「電子計算機」であってはならないのでは、と思った。当時の人はきっと「機械の計算士」というコンテクストで聞いたんだろう。それはとても衝撃的だったに違いない。
チューリングとクラークの「好き」の表現がLoveではなく"like" "take care of"であったところは面白いと思った(take care of だったかはちょっと確信がない)。劇中でもある通り、二人の間に「ロマンス」はなかった。チューリングに至ってはクラークを一種道具として利用しているかのようだ。真相は物語中ではあまり出て来ないが、当然本命はクリストファーなので、まぁさもありなん。クラークの方は、なんというか物語用に作りこんでる印象がする。
チューリングの部下を「Minion」と呼んでいて「おお、これはKubernetes用語」とどうでも良い感慨を持った。そういう問題じゃない。