『寄生虫なき病』と送る新年
昨年はサイモン・シンの一連の科学読み物が個人的に面白い年だった。そして、昨年末から今年にかけて『寄生虫なき病』を読む幸運に恵まれた。
本書はウィルスや微生物も含めた体内微生物が「存在しない」ことによって起こる、一連の病気や健康問題に関する科学読み物だ。現代は"An Epidemic of Absence"で「不在の疫病」という意味になる。
公衆衛生が発達し、感染症が減少してきた頃から、アレルギーや自己免疫疾患といった病が遅れて増加してきた。調べれば調べるほどこの現象には関係がある。その関連は、例えば化学物質やアレルゲン、食生活のようなものが最大の原因だと考えられてきていた。しかし最新の科学的発見によれば、腸内細菌や、そこに寄生していた寄生虫といった共生していた生物を、意識することなく駆逐してしまってきたことが関係しているように見える……
大体こういった話から始まって、後半では「自閉症、統合失調症、ある種のガン、うつ病、老化、早い性的成熟や成長」といった現象も、共生する微生物の「不在」によって起きているのではないか、と話を広げる。共通するのは、人類と長年共生していたはずの微生物の突然の「不在」だ。
トンデモ話のようにも見えるが、筆者は8500以上の科学論文を読み込み、科学者へのインタビューも欠かしていない。本書で紹介される研究は、サイモン・シンの『代替医療解剖』等でも登場した二重盲検法も含めて、厳密性に照らしても有意な研究成果を引用している。
問題解明の障害になっているのは、むしろ対象そのものの圧倒的な複雑さであるように読める。環境、生まれた際のバックグラウンド、不在生物の投入のタイミングで、臨床結果が正反対になってしまうことがある。本書では概ね、生まれた直後の微生物投与がプラスで、以降は体が拒否して逆にマイナスに働くかのような説明が多い。しかも必ずしもそのような単純な二分がいつも出来るわけでもない。条件によるのだ。
単純に「寄生物、良いよ!」と言う体験談だけで、日本語にして400ページ超の本著のような項数になるわけもない。むしろ筆者は(自分で鉤虫に感染することを選択しつつ)それを否定している。
自分が読み進めていく上で「これって、こういうことじゃないの?」という否定口調の感想を抱くと、それが本文で追々登場し、逆に否定され返される。「いや、それにはこういう研究結果があるので、その筋はないように見えるのだ」といった風に。読者はそのたびに、脱線することなく作者のルートに適切に引き戻される。
科学ジャーナリストとして優れているのだと思う。読んでいく内に、懐疑的な反応を概ね封印仕切ってしまう程に、調査検討が優れているのだ。
しかし問題そのものが複雑で、かつ解明の途上にある(つまり科学者の中でも見解が一致しない)ことによってか、サイモン・シンの一連の著書と比べると歯切れは悪い。科学的に証明されたわけでもない現状での言い切りは危険だと、筆者自身がおそらく一番認識していることに依っている。
細菌が多そうなのにニューヨークのスラム街で喘息が多いという。その理由を示していると思しき調査結果を紹介した後、このように書く。
読んでいて個人的にむしろ驚いたのは、この著書を読むことで『代替医療解剖』を読んでいた時に思った違和感の出処がそれとなく分かってきたことだ。
私もサイモン・シンの一連の著作は好きなのだが、唯一『代替医療解剖』が主張する方向性には何故か違和感があった。間違っている、という意味ではなく「なんか、足りない気がする」という気分だった。「代替医療」の論外さを書き立てる余り、避けられない複雑さについての説明が逆に欠けているかのような、そういった「食い足りなさ」があった。
『寄生虫なき病』は、私が持ったそういった違和感についても、間接的に説明しているように読めた点で、両著は補完的だ。
要はこういうことだ。この本を途中まで読むと、こう思いたくなる。「せやかて工藤、そのうち寄生虫から抽出された化学物質で特定の病を治せるんやろ?」
本著はこの「還元的」なアプローチには疑問を呈するような書き口になっている。症状とその原因の分離の時点で科学者は苦労しているし、何が結果を起こしているかの見解は一致していないし一見して矛盾した研究結果が出てくる。本著では一貫して「微生物の多様性が大事なのであって、特定の微生物を出し入れすれば問題が解決するような研究結果にはなっていない」と主張している。
本書を読んで「あ、寄生虫を体に入れればいいよね」と思うことは出来ない。むしろそのような安直なアプローチを行う「代替医療」勢力について、否定的な形で第十三章で紹介している。
#ちなみに、サイモン・シンの著作はこの本では紹介されていないが、私の気分的に両著は、どうにも似ている。読み進める順序として、まず『代替医療解剖』の話の筋が追えないと、本著の、当たり前のように科学的な説明には(回りくどすぎて)ついていけないかもしれない。
本著後半ではわたしも「これは、パラダイムシフトが起きているということなのでは?」という感想を持ちつつあった。この言葉はちょうどこの直前に読んだ(サイモン・シンの)『宇宙創成』で一つの裏トピックになっていたものだ(私の読書順序は『暗号解読』『フェルマーの最終定理』『代替医療解剖』『宇宙創成』の順で、発売順序と違う)。
パラダイムの変遷がある際、科学者は抵抗する。『寄生虫なき病』のモイセズはすかさず私にこう打ち込んできた。
本書に即効性のあるアドバイスはあまりない。 あるとすれば「健康的な食事を取るくらいしか、今OKそうな対策は、ないなぁ」といったところ。
両書ともに科学の重要さを訴えている。
本書はウィルスや微生物も含めた体内微生物が「存在しない」ことによって起こる、一連の病気や健康問題に関する科学読み物だ。現代は"An Epidemic of Absence"で「不在の疫病」という意味になる。
公衆衛生が発達し、感染症が減少してきた頃から、アレルギーや自己免疫疾患といった病が遅れて増加してきた。調べれば調べるほどこの現象には関係がある。その関連は、例えば化学物質やアレルゲン、食生活のようなものが最大の原因だと考えられてきていた。しかし最新の科学的発見によれば、腸内細菌や、そこに寄生していた寄生虫といった共生していた生物を、意識することなく駆逐してしまってきたことが関係しているように見える……
大体こういった話から始まって、後半では「自閉症、統合失調症、ある種のガン、うつ病、老化、早い性的成熟や成長」といった現象も、共生する微生物の「不在」によって起きているのではないか、と話を広げる。共通するのは、人類と長年共生していたはずの微生物の突然の「不在」だ。
トンデモ話のようにも見えるが、筆者は8500以上の科学論文を読み込み、科学者へのインタビューも欠かしていない。本書で紹介される研究は、サイモン・シンの『代替医療解剖』等でも登場した二重盲検法も含めて、厳密性に照らしても有意な研究成果を引用している。
問題解明の障害になっているのは、むしろ対象そのものの圧倒的な複雑さであるように読める。環境、生まれた際のバックグラウンド、不在生物の投入のタイミングで、臨床結果が正反対になってしまうことがある。本書では概ね、生まれた直後の微生物投与がプラスで、以降は体が拒否して逆にマイナスに働くかのような説明が多い。しかも必ずしもそのような単純な二分がいつも出来るわけでもない。条件によるのだ。
単純に「寄生物、良いよ!」と言う体験談だけで、日本語にして400ページ超の本著のような項数になるわけもない。むしろ筆者は(自分で鉤虫に感染することを選択しつつ)それを否定している。
自分が体験した症状を考えれば、たとえば自分の娘を故意に鉤虫に感染させる気にはとてもなれない。(p412)しかし、ここに次のような説明が続く 。
私の腸内にいる彼らは確かに、現代医学が遠く及ばない正確さで私の免疫系を理解しているのである。(p412)素人目に見て、筆者の書き口は非常に信頼感がある。
自分が読み進めていく上で「これって、こういうことじゃないの?」という否定口調の感想を抱くと、それが本文で追々登場し、逆に否定され返される。「いや、それにはこういう研究結果があるので、その筋はないように見えるのだ」といった風に。読者はそのたびに、脱線することなく作者のルートに適切に引き戻される。
科学ジャーナリストとして優れているのだと思う。読んでいく内に、懐疑的な反応を概ね封印仕切ってしまう程に、調査検討が優れているのだ。
しかし問題そのものが複雑で、かつ解明の途上にある(つまり科学者の中でも見解が一致しない)ことによってか、サイモン・シンの一連の著書と比べると歯切れは悪い。科学的に証明されたわけでもない現状での言い切りは危険だと、筆者自身がおそらく一番認識していることに依っている。
細菌が多そうなのにニューヨークのスラム街で喘息が多いという。その理由を示していると思しき調査結果を紹介した後、このように書く。
だから、スラム街の家主の皆さんに言っておくが、建物の清掃をおこなわない言い訳として、本書を持ち出すような真似はやめてもらいたい。(p431)あるいは、近年の化学物質が健康被害を与えているという事例に対して、微生物の関与の可能性を示した上でも、しかしこのように釘を刺す。
本書を読んで、「なるほど、うちの娘が喘息なのは、寄生虫がいなうなったからなのか。歯磨きのトリクロサンも、ほ乳瓶のビスフェノールAも、浄化装置なしの煙突もそのままにしておいて大丈夫なんだ」と早合点してもらっては困るのである。(p429)本書は全体として「不在の疫病」について極めて慎重に議論を進めているため、逆に言えば読み手の疑問や懐疑を蹴散らすだけのリソースにあふれている。筆者の説明について行く気分になる。ただし安易な断言はなく、不安にはなったとしても現状に安心する要素は少ない。
読んでいて個人的にむしろ驚いたのは、この著書を読むことで『代替医療解剖』を読んでいた時に思った違和感の出処がそれとなく分かってきたことだ。
私もサイモン・シンの一連の著作は好きなのだが、唯一『代替医療解剖』が主張する方向性には何故か違和感があった。間違っている、という意味ではなく「なんか、足りない気がする」という気分だった。「代替医療」の論外さを書き立てる余り、避けられない複雑さについての説明が逆に欠けているかのような、そういった「食い足りなさ」があった。
『寄生虫なき病』は、私が持ったそういった違和感についても、間接的に説明しているように読めた点で、両著は補完的だ。
これまでの感染症撲滅に大いに貢献してきた方法は、本質的に還元論的アプローチだった。微生物起源説は、「特定の微生物が特定の病気を引き起こす」ことをその基礎としている。科学者たちは常に、ある一つの生成物質を分離し、ある一つの結果を実験で再現し、その研究を元にしてある一つの薬を作ってきた。しかし、我々人類は、考えられないほど多様な微生物に取り巻かれて進化してきた。そして、免疫系には、微生物とコミュニケーションを取るためのさまざまなセンサーがある。こうしたセンサーに同時に働きかけるさまざまな刺激を再現しきれるものだろうか。さまざまな微生物のごたまぜを使って実験をおこなったアンソニー・ホーナーは、「還元的アプローチは、この分野では機能しなくなりつつある」と述べている。「それは、我々があまりにも多種多様なものに暴露しているからだ」(p161)ちょうどこの本を読んでいる時に嫁にこの本の話をしたところ、嫁から「未来にはワクチンが出来るかもね」というコメントが返ってきて、改めてこの「還元」的な発想の強さを再認識した。読み始めた時には私もそう思ったのだからなおさらだ。
要はこういうことだ。この本を途中まで読むと、こう思いたくなる。「せやかて工藤、そのうち寄生虫から抽出された化学物質で特定の病を治せるんやろ?」
本著はこの「還元的」なアプローチには疑問を呈するような書き口になっている。症状とその原因の分離の時点で科学者は苦労しているし、何が結果を起こしているかの見解は一致していないし一見して矛盾した研究結果が出てくる。本著では一貫して「微生物の多様性が大事なのであって、特定の微生物を出し入れすれば問題が解決するような研究結果にはなっていない」と主張している。
本書を読んで「あ、寄生虫を体に入れればいいよね」と思うことは出来ない。むしろそのような安直なアプローチを行う「代替医療」勢力について、否定的な形で第十三章で紹介している。
#ちなみに、サイモン・シンの著作はこの本では紹介されていないが、私の気分的に両著は、どうにも似ている。読み進める順序として、まず『代替医療解剖』の話の筋が追えないと、本著の、当たり前のように科学的な説明には(回りくどすぎて)ついていけないかもしれない。
本著後半ではわたしも「これは、パラダイムシフトが起きているということなのでは?」という感想を持ちつつあった。この言葉はちょうどこの直前に読んだ(サイモン・シンの)『宇宙創成』で一つの裏トピックになっていたものだ(私の読書順序は『暗号解読』『フェルマーの最終定理』『代替医療解剖』『宇宙創成』の順で、発売順序と違う)。
パラダイムの変遷がある際、科学者は抵抗する。『寄生虫なき病』のモイセズはすかさず私にこう打ち込んできた。
これまでほとんど言及してこなかった重要な事実をここで協調しておきたい。それは、これまで本書でたどってきた、世界中の無数の科学者による研究成果は、ヒト生物学の理解におけるパラダイムシフトを意味しているということである。(p438)言っちゃったよ!
本書に即効性のあるアドバイスはあまりない。 あるとすれば「健康的な食事を取るくらいしか、今OKそうな対策は、ないなぁ」といったところ。
現時点で確実にお勧めできる唯一のことは、食生活の改善である。(有用細菌の餌となる)果物や野菜、抗炎症作用のあるオメガ3脂肪酸の摂取を増やし、ジャンクフードや加工食品の摂取は避けるべきである。(p438)蛇足だが、『代替医療解剖』に以下のような文章がある。
魚油は、通常医療によって受け入れられた代替療法の、もうひとつの素晴らしい例である。……魚油については(引用者注: 科学的に厳密なレビューの後でも)例外なく肯定的な結果が得られた。結局、魚油は、長期的には冠状動脈性心臓病の予防的治療薬となり、安全かつ有効でもあることが改めて証明された。系統的レビューも行われ、魚油を毎日摂取すれば、平均して一年ほど寿命が延びることが示されている。(『代替医療解剖』文庫版 p479)魚油にはω3脂肪酸が豊富なんだそうだ!(小並感
両書ともに科学の重要さを訴えている。
科学は共同努力である。本書は、多くの研究者によって成し遂げられた多くの研究成果から成り立っている。本書を直接的間接的に形作ってくれた何万もの研究者に、この場を借りて感謝したい。彼らの研究は我々人類の健康と幸福にとって、そして我々が自分自身を理解する上で、なくてはならないものである。(p448, 謝辞の末尾)個人的には『代替医療解剖』(とりあえず代替医療を切り捨てられるように)『宇宙創成』(科学「者」がパラダイムシフトに対してどう反応することがあるかを一度見ておき)の二冊の後に、この『寄生虫なき病』を読むのが、ちょうど良い順序のように感じられた。