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1月, 2015の投稿を表示しています

プログラミングという言葉

「プログラミング」という言葉が出た時、どのような方向を追い求めるかが人によってあまりにも大きく違っている。深さもあれば幅もある。ある人は単に70〜80年代の教科書の論述を意識してプログラミングといい、ある人はActivity上に文字を書くことをプログラミングといい、ある人はforとifを教えればプログラミングだろうと思っている。人によってはある種の数学こそがプログラミングで、別のところではobjdumpを丁寧に扱えることがプログラミングスキルの重要な一要素だったりする。善良なセキュリティの人々は「セキュア」プログラミングとちゃんと区別するが、これもプログラミングの一部だ。 今は「プログラミング」教育を叫べば人がわんさか集まるのだから、曖昧さはバブルを呼ぶ。個人的にはどれでもいいのだが、公共スペースで誰も整理せずにその言葉を相互に別の意味で叫びまくってる状況は、やはり混乱する。

12人の怒れる男

メモ。見たのは映画版。白黒。 延々12人が事件について話し、検証する。回想シーンなど一切なく、言ってみれば舞台のような雰囲気に感じる。 アクションも何もないのだが、刺激にあふれていて良かった。 言葉にしづらいのだが、現代的なシナリオ構成ではない気がした。特にアニメなどは基本的な登場人物が紹介され、展開し物語は膨らみ、途中でキャラの入退場があり、クライマックスがある。 この映画にはそういう整理された「起承転結」があまりない。どちらかと言えば小さな起承転結の蓄積があり、徐々に一報に触れた針がもう片方に押し込まれる物語だと思った。言い換えると、Aボタンを連打してゲージを満タンにするゲームのようである。 物語の中心となる白いスーツの男(陪審員8番)の行動がまず常に面白い。適当に見るとヒーロー気取りに見えるが違う。ただ「私は分からない」と言う。場の空気でなく人を裁く論理の重さを伝えているように見える。「疑わしきは罰せず」というものに近いがちょっと違うかもしれない。疑問が晴れない状態で「12人が有罪と言えば、人が死ぬのだぞ」という事実に対して、ただ真摯に向き合っている。殺人現場周辺の調査をしていたことが分かるのは彼だけだった。 ただそれでも、白スーツの主張は曖昧で理解に苦しむ人(視聴者)はいるのだと思った。基本的には「かもしれない」としか言わないからだ。主張がダルいのでヒーローとしてはよろしくない。悪は滅びろ、というものではなく「俺はわからねーんだ」という態度で臨んでいる。 他の11人が「疑わしきは罰する」スタイルで暗黙のうちに振舞っていたことについて白スーツは問題にしているのだと思う。事実上、人を殺す判断を下そうているときに判決には、当然判断に確信がなければならない。白スーツは「どっちとも言えないのに良く『殺しまーす』的に言えるよなぁ」みたいな視線で他の11人を見る。もし自分が(国と制度が違うとはいえ)陪審員になったとして、この目で射られて平静を保てるだろうかと考えていくと、白スーツの動きのみならず、判断を翻す一人ひとりの動きも面白くなってくる。 この物語では登場人物の名前や出自が余り整理されて出て来ない。わざとなのだろうし、現代的なテンプレートがない時代の良さが感じられた。 雑談の中にひっそりとその人の動きを決定づける何かが出てくる。例え...

2015-01-13雑記

子育てのためにやや夜型シフトした。嫁に先に寝てもらい、深夜対応の負荷を下げるためだ。自分は深夜0時を超えると翌日のパフォーマンスに影響が出るという経験則があるんだが、これは仕方ない。 幸か不幸か、赤ちゃんがとても静かで世話するタイミングが少ない。逆に生きてるのか心配になるレベルでいつも寝ている。夜シフトで体力が削られる、というのにはまだなっていない。当然長期戦なので、生後1週間そこらで何か結論が出せるというというものでもまとめられるものでもない。 それでも時間は削られる。ミルクをあげ、おしめを変え、沐浴させる。自分の時間というのがゼロになったわけではない(超幸い)ものの、細切れになるため現状はやはり仕事はほぼ出来ない。 オフィスへ向かうことが出来ないためリモート作業について考えて試してをする。とりあえず、MacBookに開発環境を引き寄せた。これには良い面と悪い面がある。良い面はプロプライエタリの対応がLinuxよりマシなことが多いこと。例えばICカード等 (勘違いかもしれないが)。 悪い面はLinuxと下層が違うためそこでハマると面倒なこと。例えばYubiKeyについて調べていたが、USB(HID)周りでPythonのライブラリとlibusb周りに課題があるようで期待したレベルまで動作していない。自分の下層のレベルは大変低いのでconfigure以下で分裂している状態は辛い。brew叩けば終わり、というわけでもないことが多い。 関連してVirtualBox内でWin 8.1を入れて設定もした。これもこれで色々面倒だったが徐々に手が慣れてきた。ところでYubiKeyはキーボードなので、dvorak配列にすることでOTPの入力まで影響を受ける。うへぇ。( 参考 ) ノートPCでの作業は全体的に「狭い」ので、出来ればディスプレイ等で拡張したいし、割れるキーボードも挿してデスクトップ的に使えるとさらにベターなのだが、まずスペースがない。赤ちゃんの近くにいたいためオフィス内のような最適化はやはり難しい気がする。蛇足だが病院内ではベッドの横にあった棚の高さが割合調度良く、約3年ぶりに立って作業する環境ができていたのだが、家にはそれと同等の高さのテーブル類がない。 課題とそれに対応するツール候補を見つけても、秋葉原に足を運ぶ機会がなく、店頭で試すとい...

成人式に絡む雑感

先日小学校時代の同級生と飲む機会があった。同じ学校に通わなくなってから優に15年以上経っているのに「会う」という選択が出来ることは嬉しい。 こういった集まりは、成人式で集まった頃から散発的に行われるようになった。それはそうで、年齢として「飲み会」を開けるのがそのときからというのは大きい。そのあと、一部の人が積極的に主催もしてくれ、コネクションが切れなかったのも良かった。 当時の同級生を今から増やすことは出来ない。一度接続が切れれば、場合によっては回復は不可能になる。 積極的にそういう連帯を深めるか離れるかは個人の判断だ。これはどちらでも良いと思う。ただ、振り返ってみると、成人式でその手の判断の必要性を認識していたとは言いがたい、その点については書いておきたかった。 人間関係に関する接点は、意識しておかなければ望ましくない状態になる。会いたいと思った時にどこにいるか分からない、あるいは会いたくもないのに接触しつづけるはめになる。どちらも意識して接点について意識しておくべきことを、意図せずして放置していたことで起きていることが多い。 小中の同級生については幸いつなげてくれる人がいたおかげでつながっているが、つながっていて欲しくてそうなっていないケースも自分の中にある。ある高校時代の知り合いとは今気軽に連絡を取る手段がない。ネットで探したからといってそこで見つかるわけでもまだないし、どうもよそよそしくなる。 特に成人式に臨む人に言いたい言葉があるわけではないが、そういうことをふと思いついた。

3つの宅配サービス

1. 不在票を持って配送センターへ向かったところ、おどおどしたおっさんが免許証を見せてくれという。見せたところ番号を控えさせてくれという。控えてもらって探してもらうこと5分、まだ配送センターに荷物が戻ってないのでまた来てくれという。おどおどしたおっさんは荷物がいつ来るかも分からないと言っていた。しょうがないので夜に取りに行った。 この配送業者の建物には予め多数の注意書きがある。「近頃不在票を盗むことでクレジットカード等を不適切に取得し……」 2. 不在票を持って配送センターへ向かったところ、「サインをお願いします」と言われた。サインしたところ荷物を渡された。 3. 不在票を持って配送センターへ向かったところ、生体認証を求められた。認証したところ自動的に荷物がやってきた。どうやら不在票に近距離無線のタグかなんかが仕込まれているらしい。生体認証が求められたのは、実は自分が持っている電話で識別が済んでいるからなのだった。 ところで、しばらく自宅を留守にしていたところこのまえ空き巣に入られた。どうやらオンラインショップAzomanの購入履歴と配送履歴から私が都内を留守にしていたことをアルゴリズムで判定していて、誰かがそれを嗅ぎつけたらしい。最近は移動情報も業者間の販売対象とのことなので、偽情報を埋め込むサービスに申し込んだ。 ---- 3はフィクション。

2015-01-04の出来事

『寄生虫なき病』をようやく読み終えた ( 関係記事 )。 今年の年末年始は概ね年末年始「っぽい」番組を見なかった気がする。強いて言うと、チャンネルを変えているとクラシック系に落ち着く。バラエティ番組を見ないのは正常の範囲としても、駅伝に全く目が行かなかったのは意外といえば意外。その頃、移行がうまく行かないMacBook Proの方に意識が無いてたってのもあるけど。紅白は概ね見た。 年末1週間ほど口内炎が酷く元旦くらいまではそうだった。昨日くらいになってようやく完治した。年末は酒の飲み過ぎかと思ったが単にストレスか何かだったようだ。ちなみに上の本はストレスの持続が他のヤバイ疾患を引き起こすとも暗黙に伝えており、今年はストレスをなるべく溜めない方向に行きたいと思っている。 のだが、子育てでストレスフリーなどあるものかいな。ちなみにまだ生まれていない。予定日は過ぎているが、初産ということもあるので個人的には予想通り。嫁には、お腹蹴られるのがストレスになってる。 正月は概ね酒に微妙に酔いながら一日を過ごすことが多かった。気分的には悪くないが、積読書を消化するには効率が悪い。併せてコーヒーをぶち込んで覚醒させるということをやっていた。買っといた安いコーヒーに飽きた。 カクテル周りの経験値は微増した。グリーンミントリキュールのようにお菓子にも使われる類のリキュールは小瓶が近くのスーパー等で手に入るので助かる(ブランドとかは気にしない)。このリキュールはデビルという覚えやすい名前のカクテルに使える ( 参考 )。Facebookでのアドバイス等も大いに参考になった。それにしても酒飲み過ぎ。あれ、そういえば禁酒だった、ような ずいぶんゆるゆるしていたが、既に今の状態で、3月までが大分ヤバイ状態になる気配がしている。新しい1年は今の時点で課題山積みだ。また口内炎なのか、そうなのか。

『寄生虫なき病』と送る新年

昨年はサイモン・シンの一連の科学読み物が個人的に面白い年だった。そして、昨年末から今年にかけて『寄生虫なき病』を読む幸運に恵まれた。 本書はウィルスや微生物も含めた体内微生物が「存在しない」ことによって起こる、一連の病気や健康問題に関する科学読み物だ。現代は"An Epidemic of Absence"で「不在の疫病」という意味になる。 公衆衛生が発達し、感染症が減少してきた頃から、アレルギーや自己免疫疾患といった病が遅れて増加してきた。調べれば調べるほどこの現象には関係がある。その関連は、例えば化学物質やアレルゲン、食生活のようなものが最大の原因だと考えられてきていた。しかし最新の科学的発見によれば、腸内細菌や、そこに寄生していた寄生虫といった共生していた生物を、意識することなく駆逐してしまってきたことが関係しているように見える…… 大体こういった話から始まって、後半では「自閉症、統合失調症、ある種のガン、うつ病、老化、早い性的成熟や成長」といった現象も、共生する微生物の「不在」によって起きているのではないか、と話を広げる。共通するのは、人類と長年共生していたはずの微生物の突然の「不在」だ。 トンデモ話のようにも見えるが、筆者は8500以上の科学論文を読み込み、科学者へのインタビューも欠かしていない。本書で紹介される研究は、サイモン・シンの『代替医療解剖』等でも登場した二重盲検法も含めて、厳密性に照らしても有意な研究成果を引用している。 問題解明の障害になっているのは、むしろ対象そのものの圧倒的な複雑さであるように読める。環境、生まれた際のバックグラウンド、不在生物の投入のタイミングで、臨床結果が正反対になってしまうことがある。本書では概ね、生まれた直後の微生物投与がプラスで、以降は体が拒否して逆にマイナスに働くかのような説明が多い。しかも必ずしもそのような単純な二分がいつも出来るわけでもない。条件によるのだ。 単純に「寄生物、良いよ!」と言う体験談だけで、日本語にして400ページ超の本著のような項数になるわけもない。むしろ筆者は(自分で鉤虫に感染することを選択しつつ)それを否定している。 自分が体験した症状を考えれば、たとえば自分の娘を故意に鉤虫に感染させる気にはとてもなれない。(p412) しかし、ここ...

年末年始の出来事

嫁出産間近、いつ陣痛が始まってもおかしくない。そんな状況 なので、遠くに出られない年末年始。 ○ Mac移行アシスタントェ…… 手元のiPad mini 2が壊れてしまった。そして、気づいたらMacBook Proを購入していた。 MacBook Airのバックアップを用いて移行を試み難航する。バックアップ自体はフルバックアップも含めて数時間で終わったが、そこから移行アシスタントを使ってProへデータを移す部分でトラブる。一度、60時間以上の予定時間を見てマジかと思い中断、データを減らして試したら、今度は終了時間が表示されない(多分予測出来ない状態)。少なくとも即座に終わりそうな気配は全くない。 仕方ないので外付けHDD経由で新たにバックアップを作成して移行。こちらはバックアップと移行全体で数時間で終わった。 ○ 柄にもなくクラシックとジャズ 去年も年越しは東急ジルベスターコンサートだった気がする (「ボレロ」)。今年は「フィンランディア」、その後はバレエ振り付け付き「ボレロ」も見れた。 新年もなんとなくチャンネルを回していると、どうしてもクラシックに目がとまる。 ニューイヤーコンサート が面白かった。 爆発したwww — あめ玉/もわもわ (@amedama) 2015, 1月 1 「爆発ポルカ」で爆発するのは割とよくあることのようだ。 去年からBGMがジャズとクラシックになる頻度が増えた。MacBook Pro購入の帰りに銀座アップルと同じ通り沿い(山野楽器?)で「ジャズの100枚」という冊子を配っていたので見ていたら自分が知っているものが幾つか入っていた。 もっとも、ジャズを嗜みたいというより、単にBGMで他のノイズを消したいという期待の方が今のところ強い。 気に入っているものをいくつか書いておく テテ・モントリューの3アルバム (特に Temas, Brasilenos) パット・メセニー・グループの一連のアルバム (特に The Way Up) 上原ひとみの ALIVE テテ・モントリューの上記アルバムはボサノヴァからジャズに移る上ではとても良かった。ボサノバ曲のアレンジかつメドレーとしてすっと入れた。というか邦題が…… パット・メセニー・グループはナゼ聞くようになったか...