劣化
最近「エンジニアリング・マネジメント」という文脈で物事の判断を任されることが増えた。
個人的には「マネジメント」に関しては大学時代からそれなりに興味があった。というより新卒採用直後から「最終的にはマネジメント」と言っていたくらいなので、ある意味一貫してそちらに興味がある。
実際、大学在学中から、ドラッカーなり(中性子)ジャック・ウェルチなりトム・デマルコなりG.M.ワインバーグなりを読みつつ、ブロガーとして考察もしていた。業務に沿った実務がなかったというのが課題ではあったが、日常の行動に関しては比較的良く修練できていた方だと思う。
当時の学習が今さらながら「業務に沿った実務」に効果を発揮する段階となったわけだ。
さて、件の「エンジニアリング」「マネジメント」の巷の議論を見ていると、幾重にも稚拙さが目立つのであった。課題は少なくとも3つある。
まず、「エンジニアリング」と「マネジメント」について、基礎を勉強するというモチベーションが総じて低いことが挙げられる。
エンジニア発のキャリアの場合、「マネジメント」を勉強するという発想がいまいち希薄だ。そして、直近の経験からの考察に終止する。
「マネジメント」文脈の人は「エンジニアリング」を理解していないし、総じて学ぶ段階を逸している。
いずれのケースでも「渋谷を探索するのに上野の地図を使う」愚を犯す。なるほど建物や標識の意味を捉えるのにはまだ良い。しかし目的地にたどり着けると期待するべきでない。
ソーシャルサイトや技術共有サイトなどでは、以前からエンジニアリング上の知見については稚拙な共有が目にあまるケースというのは良くあった。とはいえ、エンジニアの情報収集としてであれば、特に「最新のケース」は稚拙でも価値が相当あるケースは多く、多めに見る余地が非常に多かった。
「マネジメント」において同様の「最新の知見」を現場から得るのはなかなか難しい。最新の状況を抽出する能力がなく、そもそもごく基本的な認知の誤りに躓くのだ。義務教育で学べるものでもない。
昭和以前、下手をすると最新の職場で19世紀の考察を披露するという輩が後を絶たないのは、ある意味仕方がない。啓蒙主義的な文脈以前の世界に対する理解もそんなレベルだったはずだ。二重盲検しろとは言わないが、もう少し学び方を学ぶべきだ。
2つ目。「すぐ語りたがる」。人の問題はエンジニアリングの問題と比較しても非常に語りやすいことに特徴がある。ところが、現代的に良い方針に向かうべく考えて行動するとなると、これが非常に難しい。
マトモなリーダー、マトモなマネージャーがそもそも少ないということが、なぜか、「語る自分」自身に跳ね返ってくることにはあまり気づかない。起きたことだけを書くのであればともかくそれは稀で、普通はそれに対する「処方箋案」も書く。だが、その「処方箋」は、先人から学ばずに直感に従って語ったとすれば、ほぼ「ハズレ」だ(マトモであるにはそれなりに運がいる)。
共感は得られても、飲み屋でぼやくおっさんと同じレベルである。それがブロードキャストされたからといって、良い知見になるわけではないのに、なぜか語る。語る語る。
3つめ。これは個人的には非常に難しい。「エンジニアリング・マネジメント」を目線に併せているにも関わらず、多くの人に「エンジニアリング」の「マネジメント」という比較的新しい側面での論考が欠けている。
個人的に情報をあまり収集していないのだが、いくつかの会話をパッと見たとき「エンジニアリング・マネージャ」のボヤキはほとんど「マネージャ」のぼやきであり、「とりあえずトム・デマルコ読んだ?」「G.M.ワインバーグ読んだ?」で打ち返すレベル未満だったりする。
個人的に興味があるのは、「初心者マネジメントのつまづき」ではなく「エンジニアリング」と「マネジメント」の融合にまつわる課題だ。
そもそも「マネジメント」とは言っていない、「エンジニアリング・マネジメント」と言っているのだから。「マネジメント」の質問をわざわざ学びの浅い新人マネージャにしたりしない。
「エンジニアリング・マネジメント」には「マネジメント」とは異なるアプローチがあり得る。(私の文脈では「ソフトウェア」)エンジニアリングという限定が付くことで、「(人の)マネジメント」と異なる制約と武器がある。
このような話題に沿った課題設定と解決方法はまだ初期フェーズという印象がある。幸いにして、例えば『Joel on Software』の類でも、すでにこのタイプの知見を学ぶことはできる(同著が古いことを考えれば驚くべきことだ)。しかし洗練されているというところまでは行っていない。
最近では、GAFA周辺の資料は明らかにこのタイプの新種にフォーカスを置いており、学ぶことがとても多いし助かる。ただ、少々グローバルすぎる面がある。自分のマイクロな問題設定に落とし込むときに「これだ!」と思うものにはなかなか昇華しづらい面がある(ちなみに繰り返すが「マネジメント」のことではない。「マネジメント」の「これだ!」は正直いくらでも掘り返すことが出来る)
2年弱ほど前、マネジメントの実務に触れていないことでやや危機感があった。今では議論をする相手の少なさに危機感を覚える。成長の方向性としては悪くないのだが、「なんだかなぁ」と思う面はある。
個人的には「マネジメント」に関しては大学時代からそれなりに興味があった。というより新卒採用直後から「最終的にはマネジメント」と言っていたくらいなので、ある意味一貫してそちらに興味がある。
実際、大学在学中から、ドラッカーなり(中性子)ジャック・ウェルチなりトム・デマルコなりG.M.ワインバーグなりを読みつつ、ブロガーとして考察もしていた。業務に沿った実務がなかったというのが課題ではあったが、日常の行動に関しては比較的良く修練できていた方だと思う。
当時の学習が今さらながら「業務に沿った実務」に効果を発揮する段階となったわけだ。
さて、件の「エンジニアリング」「マネジメント」の巷の議論を見ていると、幾重にも稚拙さが目立つのであった。課題は少なくとも3つある。
まず、「エンジニアリング」と「マネジメント」について、基礎を勉強するというモチベーションが総じて低いことが挙げられる。
エンジニア発のキャリアの場合、「マネジメント」を勉強するという発想がいまいち希薄だ。そして、直近の経験からの考察に終止する。
「マネジメント」文脈の人は「エンジニアリング」を理解していないし、総じて学ぶ段階を逸している。
いずれのケースでも「渋谷を探索するのに上野の地図を使う」愚を犯す。なるほど建物や標識の意味を捉えるのにはまだ良い。しかし目的地にたどり着けると期待するべきでない。
ソーシャルサイトや技術共有サイトなどでは、以前からエンジニアリング上の知見については稚拙な共有が目にあまるケースというのは良くあった。とはいえ、エンジニアの情報収集としてであれば、特に「最新のケース」は稚拙でも価値が相当あるケースは多く、多めに見る余地が非常に多かった。
「マネジメント」において同様の「最新の知見」を現場から得るのはなかなか難しい。最新の状況を抽出する能力がなく、そもそもごく基本的な認知の誤りに躓くのだ。義務教育で学べるものでもない。
昭和以前、下手をすると最新の職場で19世紀の考察を披露するという輩が後を絶たないのは、ある意味仕方がない。啓蒙主義的な文脈以前の世界に対する理解もそんなレベルだったはずだ。二重盲検しろとは言わないが、もう少し学び方を学ぶべきだ。
2つ目。「すぐ語りたがる」。人の問題はエンジニアリングの問題と比較しても非常に語りやすいことに特徴がある。ところが、現代的に良い方針に向かうべく考えて行動するとなると、これが非常に難しい。
マトモなリーダー、マトモなマネージャーがそもそも少ないということが、なぜか、「語る自分」自身に跳ね返ってくることにはあまり気づかない。起きたことだけを書くのであればともかくそれは稀で、普通はそれに対する「処方箋案」も書く。だが、その「処方箋」は、先人から学ばずに直感に従って語ったとすれば、ほぼ「ハズレ」だ(マトモであるにはそれなりに運がいる)。
共感は得られても、飲み屋でぼやくおっさんと同じレベルである。それがブロードキャストされたからといって、良い知見になるわけではないのに、なぜか語る。語る語る。
3つめ。これは個人的には非常に難しい。「エンジニアリング・マネジメント」を目線に併せているにも関わらず、多くの人に「エンジニアリング」の「マネジメント」という比較的新しい側面での論考が欠けている。
個人的に情報をあまり収集していないのだが、いくつかの会話をパッと見たとき「エンジニアリング・マネージャ」のボヤキはほとんど「マネージャ」のぼやきであり、「とりあえずトム・デマルコ読んだ?」「G.M.ワインバーグ読んだ?」で打ち返すレベル未満だったりする。
個人的に興味があるのは、「初心者マネジメントのつまづき」ではなく「エンジニアリング」と「マネジメント」の融合にまつわる課題だ。
そもそも「マネジメント」とは言っていない、「エンジニアリング・マネジメント」と言っているのだから。「マネジメント」の質問をわざわざ学びの浅い新人マネージャにしたりしない。
「エンジニアリング・マネジメント」には「マネジメント」とは異なるアプローチがあり得る。(私の文脈では「ソフトウェア」)エンジニアリングという限定が付くことで、「(人の)マネジメント」と異なる制約と武器がある。
このような話題に沿った課題設定と解決方法はまだ初期フェーズという印象がある。幸いにして、例えば『Joel on Software』の類でも、すでにこのタイプの知見を学ぶことはできる(同著が古いことを考えれば驚くべきことだ)。しかし洗練されているというところまでは行っていない。
最近では、GAFA周辺の資料は明らかにこのタイプの新種にフォーカスを置いており、学ぶことがとても多いし助かる。ただ、少々グローバルすぎる面がある。自分のマイクロな問題設定に落とし込むときに「これだ!」と思うものにはなかなか昇華しづらい面がある(ちなみに繰り返すが「マネジメント」のことではない。「マネジメント」の「これだ!」は正直いくらでも掘り返すことが出来る)
2年弱ほど前、マネジメントの実務に触れていないことでやや危機感があった。今では議論をする相手の少なさに危機感を覚える。成長の方向性としては悪くないのだが、「なんだかなぁ」と思う面はある。