ここ最近の見たり聞いたり考えたり
○ 子ども
第一子誕生後より第二子誕生後の方が精神的に厳しい状況が多い。当たり前かもしれない。厳しいのは新たに生まれてきてくれた方、ではなく、今成長中の子どもの方だ。「赤ちゃん返り」という極端なものではないが甘える度合いが大きくなり、成長とともに好奇心も増え、やんちゃも増える。
好奇心にまかせて育てるというのは思ったより(現在進行系で)つらい。道のりで近くの段差をはねたり降りたり、大通り横のガードレールに手をついたり登ったり(!)、保育園から出たと思ったら「もっかいバイバイするの」を2度しようとしたりする。ひとりなら10分の道のりで1時間かかることがある。そういうのを抑止するのは簡単だ。モンテッソーリってなに?
○ THIS IS IT
私は昔からターミネーター2が好きだった。特集番組をVHSテープに撮って何度も見ていたが、実はこの番組にマイケル・ジャクソンがいた。Black Or White。当時最新鋭のVFX技術によって人の顔がモーフィングするPVはT-1000のアレとベースが同じだった。そういう時代だ。
それ以外にマイケル・ジャクソンという人に興味はなかった。あるとき偶然THIS IS ITを見て「この人はすごい人なのだ」と素人目に認めるに至った。前提情報があまりない中で「すごい」と認識出来る人・楽曲・作品は、すごい。
THIS IS ITはメイキングである。よって完成品ではなく過程にフォーカスが当たる。このとき、パフォーマンスに納得の行かないときのマイケルの振る舞いにも惚れる。総じてそういう人なのだろう。問題を指摘すると同時に相手を感化もする。(良い部分をピックするのだがそうなるとはいえ)刺々しさが言葉からかけらも感じない。そして指摘は的確である。指摘の前後で雰囲気が変わる。
あるとき、逆の(あまり褒められたものではない)ケースでマイケルの凄さを認識する事もできた。スリラーをある別の番組で演奏するのを見た。ボーカルの声量が完全に負けていた。
単なる音量というだけではない。「スリラー!」と叫べば良い歌ではないのだった。スリラーのサビの部分ではなく冒頭の部分。相対的に声量が小さい部分。いかに静かに鋭く発生するかから既に技量が問われる歌なのだと逆説的に理解した。マイケルと言う人は、これに踊りも取り入れるのだ。桁が違う。
○ ダンサー・イン・ザ・ダーク
前情報を仕入れずに見た。私はビョークも本作品のプロットも知らなかった。半端のないショックを受けた。
従来のファンタジー的小説では世界観、伏線の提示と登場人物のやや表面的な魅力を私は見がちだ。この作品にはそういうものはない。
敢えて言えば、エキセントリックな伏線等で魅力を増そうとする作品と比べれば、ストーリー自体は平易で、各ステップで起きることは事前に予想できてしまう。例えば、主人公セルマが秘密を喋った瞬間、「あー」とため息が出る。次の転落が分かるからだ。その意味での「おどろき」はほとんどない。
この作品の特長はそこではない。転落が分かるが、目が離せないことだ。ストーリーは分かる。主人公に何が起こるのか、場合によっては宣告さえある。それでいて、「見なければならない」と思わせる。ごく最初に出てくる工場での危険な遊びですら、それが危険であることと、セルマが素朴にそれを楽しんでいることから目をそむけたくてもそむけられない。
撮影の仕方に関係があると思う。ハンディカメラで知り合いが撮影しているかのような親近さと妙な薄暗い色調がまず関係あるように感じる。(あと個人的に、この作品を見た時、敢えて「ながら」では見なかったこともあったかもしれない。)
冷静に考えれば「何故助けないの、お前ら」と思うような、ツッコミどころはある。ただ、そもそも作品として見せたい部分がそういうところではない。表現はアレだが、この作品を見る時、自分は「感情のジェットコースター」に乗るのだった。最後のシーン、セルマが歌っている。何が起こるのかわかっている。しかも、きっと歌は打ち切られるのだ。わかっている。ジェットコースターだ。カンカンカンカン、徐々に高度が高くなる。目の前に直滑降がある。107歩。場違いにミュージカルだ。
これがミュージカルとして「ララランド」と同じカテゴリに並ぶことにも衝撃を感じる。
この作品はこのエントリに出した中で飛び抜けて強い印象を受けた。ただし、正直人にお勧めする勇気がない。
○ 日の名残り
受賞後に知った。各情報源のあらすじが雑で辛い。もっとも話題を追いたいだけなので、ちゃんとは読まなかった。以下の感想も雑な読みに基づく。
「信頼できない語り手」というものだそうだ。この作品については、迷いを隠す老紳士の感覚が興味深い。語り口の微妙な不自然さそれ自体が伏線になっている。ただ、回想のピックアップの仕方は恣意的で、その意味では作為を感じてしまう。あやつり人形の糸が見える。あやつり人形ではなく糸を見てしまう。
これは日本語で読んで面白い本なのかは疑問はある。紳士の語りと間も重要なのではないかと少し思ったが、これは原文で読む余裕もないのでなんとも言えない。
白熱教室で作者は「コンセプト次第では舞台はどこでも良い」という旨のことを語っていた。そーなの?
私は文学好きということはないので、単純に「おーよかった」で終わった。
第一子誕生後より第二子誕生後の方が精神的に厳しい状況が多い。当たり前かもしれない。厳しいのは新たに生まれてきてくれた方、ではなく、今成長中の子どもの方だ。「赤ちゃん返り」という極端なものではないが甘える度合いが大きくなり、成長とともに好奇心も増え、やんちゃも増える。
好奇心にまかせて育てるというのは思ったより(現在進行系で)つらい。道のりで近くの段差をはねたり降りたり、大通り横のガードレールに手をついたり登ったり(!)、保育園から出たと思ったら「もっかいバイバイするの」を2度しようとしたりする。ひとりなら10分の道のりで1時間かかることがある。そういうのを抑止するのは簡単だ。モンテッソーリってなに?
○ THIS IS IT
私は昔からターミネーター2が好きだった。特集番組をVHSテープに撮って何度も見ていたが、実はこの番組にマイケル・ジャクソンがいた。Black Or White。当時最新鋭のVFX技術によって人の顔がモーフィングするPVはT-1000のアレとベースが同じだった。そういう時代だ。
それ以外にマイケル・ジャクソンという人に興味はなかった。あるとき偶然THIS IS ITを見て「この人はすごい人なのだ」と素人目に認めるに至った。前提情報があまりない中で「すごい」と認識出来る人・楽曲・作品は、すごい。
THIS IS ITはメイキングである。よって完成品ではなく過程にフォーカスが当たる。このとき、パフォーマンスに納得の行かないときのマイケルの振る舞いにも惚れる。総じてそういう人なのだろう。問題を指摘すると同時に相手を感化もする。(良い部分をピックするのだがそうなるとはいえ)刺々しさが言葉からかけらも感じない。そして指摘は的確である。指摘の前後で雰囲気が変わる。
あるとき、逆の(あまり褒められたものではない)ケースでマイケルの凄さを認識する事もできた。スリラーをある別の番組で演奏するのを見た。ボーカルの声量が完全に負けていた。
単なる音量というだけではない。「スリラー!」と叫べば良い歌ではないのだった。スリラーのサビの部分ではなく冒頭の部分。相対的に声量が小さい部分。いかに静かに鋭く発生するかから既に技量が問われる歌なのだと逆説的に理解した。マイケルと言う人は、これに踊りも取り入れるのだ。桁が違う。
○ ダンサー・イン・ザ・ダーク
前情報を仕入れずに見た。私はビョークも本作品のプロットも知らなかった。半端のないショックを受けた。
従来のファンタジー的小説では世界観、伏線の提示と登場人物のやや表面的な魅力を私は見がちだ。この作品にはそういうものはない。
敢えて言えば、エキセントリックな伏線等で魅力を増そうとする作品と比べれば、ストーリー自体は平易で、各ステップで起きることは事前に予想できてしまう。例えば、主人公セルマが秘密を喋った瞬間、「あー」とため息が出る。次の転落が分かるからだ。その意味での「おどろき」はほとんどない。
この作品の特長はそこではない。転落が分かるが、目が離せないことだ。ストーリーは分かる。主人公に何が起こるのか、場合によっては宣告さえある。それでいて、「見なければならない」と思わせる。ごく最初に出てくる工場での危険な遊びですら、それが危険であることと、セルマが素朴にそれを楽しんでいることから目をそむけたくてもそむけられない。
撮影の仕方に関係があると思う。ハンディカメラで知り合いが撮影しているかのような親近さと妙な薄暗い色調がまず関係あるように感じる。(あと個人的に、この作品を見た時、敢えて「ながら」では見なかったこともあったかもしれない。)
冷静に考えれば「何故助けないの、お前ら」と思うような、ツッコミどころはある。ただ、そもそも作品として見せたい部分がそういうところではない。表現はアレだが、この作品を見る時、自分は「感情のジェットコースター」に乗るのだった。最後のシーン、セルマが歌っている。何が起こるのかわかっている。しかも、きっと歌は打ち切られるのだ。わかっている。ジェットコースターだ。カンカンカンカン、徐々に高度が高くなる。目の前に直滑降がある。107歩。場違いにミュージカルだ。
これがミュージカルとして「ララランド」と同じカテゴリに並ぶことにも衝撃を感じる。
この作品はこのエントリに出した中で飛び抜けて強い印象を受けた。ただし、正直人にお勧めする勇気がない。
○ 日の名残り
受賞後に知った。各情報源のあらすじが雑で辛い。もっとも話題を追いたいだけなので、ちゃんとは読まなかった。以下の感想も雑な読みに基づく。
「信頼できない語り手」というものだそうだ。この作品については、迷いを隠す老紳士の感覚が興味深い。語り口の微妙な不自然さそれ自体が伏線になっている。ただ、回想のピックアップの仕方は恣意的で、その意味では作為を感じてしまう。あやつり人形の糸が見える。あやつり人形ではなく糸を見てしまう。
これは日本語で読んで面白い本なのかは疑問はある。紳士の語りと間も重要なのではないかと少し思ったが、これは原文で読む余裕もないのでなんとも言えない。
白熱教室で作者は「コンセプト次第では舞台はどこでも良い」という旨のことを語っていた。そーなの?
私は文学好きということはないので、単純に「おーよかった」で終わった。