翻訳
『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』という本を読んでいる。『人間の条件』自体名著と言われるものらしいけど、パンピーにはあまりに難しい。結局解説書の類も頼ることにした。 ハンナ・アーレントはドイツ語と英語の両方で同趣旨の本を書いたそうで、しばしば『入門講義』では「ドイツ語でこう訳していて、英語でもそちらのニュアンスで読解するのが筆者の本来の意図に近かろう」みたいな説明がある。 そもそも『人間の条件』の「条件」という単語は、ドイツ語版のニュアンスで言えば「制約」により近いもののようだ。日本語で『人間の条件』とあるのは、英語でconditionを使っているからなのだが、筆者本来の意図はもう少し違ったのだと『入門講義』の筆者は言う。そして実際その方が説明上、非常に納得がいく。人間になるための云々みたいな妖怪のための本ではなくて、必須人が人として制約される所々の現象について述べてる本に読み取れるからだった。人間として制約されてしまうものがありますよね、というのを、科学ではなく、なんというか人文的・詩的に説明している。人によっては嫌がるタイプの本のはずだ。 こういう話を聞いていると、ある特定の一文の訳出の巧拙から筆者の意図を汲み取るどの段階で他国語から日本語に訳すのが良いのか、一般人や一限様には分からん、という展開にもなってくる気がする。私は特定の原著を解説する本は概ね嫌いなのだが、『人間の条件』は深い人文学的バックグラウンドがないとそもそも原著和訳の意図がつかめない。よって『入門講義』を探したのだった。あっさりした結論でよければその方が良い。比較対象の本があるべきだ、というのはその通りで、佐藤優氏は3冊嫁みたいな話をしてた気はするんだけど。 技術書籍の和訳はこれとは事情が異なるが、訳っつーのはどの段階で批判しても何か変なものは残るんじゃねーかとは思う。当然翻訳は難しいということなのだろうが、個人的には我慢するレベルに一定の閾値があるという意見には賛成する。