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4月, 2015の投稿を表示しています

組体操

良く「巨人の肩に乗る」という表現とOSSのスタックを絡める表現を見るのだけど、個人的には「組体操」という方がしっくりくる。特に想像しやすいのは人間ピラミッドだ。 個別のモジュールは個別の開発体制を持つ 全てに通じる巨大なコンセプトを共有しているとは限らない。個別の参加者は個別に物事を考えている ここはわかりづらいかもしれない。組体操は、外部から見ればひとつの立体を形成する一方、個別の人がそれを意識する機会を持たなくても成立することがある。「くどう、おまえいちばんしたで支えるんやで」と言われた中学生は、多分写真等で見るまで全体像を拝む機会もないし、やる気がなければ「組体操で何を表現しているのか」など興味もない 個別のモジュールの上に次のモジュール、その次、と多段になっている 一つの下層モジュールで深刻な問題が起これば「組体操」が成立しなくなる。下手をすれば崩れる 一番上で立つ人が目立つ

シュガー・ラッシュ(とDDR)

冒頭で「 ユニ・バース!? 」とか早速動揺した。なんでEMIじゃないの!?ねぇ!? ( 参考 ) この時、稼動している筐体はDDRX(SuperNOVA2の次)のものであり、矛盾が生じている。 そのことにツッコミを入れるコアなDDRファンも少なくは無い。  冷静に考えればアメリカ発だとヒロインはユ二なんだよなぁ……泣 嫁と見てたのだけど嫁が「 上上下下左右左右BA 」知らないとか、知ってるネタが違うので動揺する。いやま、知らないか……? ゲーム・キャラもそうなんだけど唐突にビアードパパ出してくるとかメントスをコーラに入れるとか(しかもクライマックスに関係する)、ネタに溢れすぎてて笑う。こっそりポンとかディグダグとか出てるのは分かったんだけど全部見つけられてない。 そこでわざわざ ポン かよ 後半のヒロインは「バグ技で無双なマトリックスのネオ」みたいな状態になっててこれまたウケる。 マリカーの名前出せないから類似ゲームを考えた感があるなぁと思ったら案の定そうだったらしい。 これどう見てもレインボーロードだよねぇ!? みたいな 監督のリッチ・ムーアは「レインボーロードでコースアウトして落下するなどの体験を再現したかった。『マリオカート』の世界を3D映画にしたかった。」と語っている ( Wikipedia ) あ、隠すつもりもない(´・ω・`) 混乱気味だがゲーム好き的にはマストだと思う。周回遅れで見てるけどこれはヤバい。DDR X2のくだりはラスト・アクション・ヒーローでT1000が出てきた時以来のヒットである(イミフ Pixels の予習にも良い (よくない

Shibboleth IdP3 + Jetty + Apache は非推奨?

ひぃ!? http://marc.info/?l=shibboleth-users&m=142902365012608&w=2 JettyをAJP経由で使用するのは非推奨とされている Tomcatは最新のサーブレット仕様を追いかけられていないといった問題があって引き続き二番手にしたいっぽい (IdP3はJetty推奨) そもそもJetty単体のWebサーバとして動作するのだからそうする方がオススメ 特に最後のオススメはExternalAuthn考えてないような気が…… 何かちょぉっと錯綜してる気がする。学認事務局の動きもないので様子見。

Webのエンジニアの主張でやばいと思うもの

どうすればいいか分からんのだけど ○ 生存者バイアス その業界に長く生き続けている人の主張は強いのだけど、特有の生活環境にあって一般化出来ない。そういう主張が、さも一般的で全員従うべき金言のように見えてしまう。 ○ 時間軸を見ない 若い人が、あふれる体力と抱える重石の少なさがあって初めて成立する主張をするのまでは良いとしても、そういった主張を20年続く力のある汎用的な戦略と同じ単語や表現で記述してしまう。言い方を変えると、論文にならない主張がやけに綺麗なパッケージング化されて日々配信されてくる。 ○ 周辺事情の違いを無視する 20歳で健康優良体である状況ならアタリマエのことが、30代子持ちになると聞くだけでゾッとするアイディアに見える。特に自分の場合、この現象が今まさに現在進行形として発生していて、生々しい実感として捉えられてしまう。 -- この手の警句は、散発的には色々流れてくる。流れてくる……のだけど、この種の「突っ込み」メッセージングは大抵、意識高い若々しい人々によって「茶化し」と同系列で軽く流されてしまう。 「俺たちアツいぜ世の中の最先端だ。あんなへっぴり腰の発言は無視しろ」みたいなアツい人の方が当然熱量がある。熱が引けたまさにその時を生きる人々の「冷」静な反応は、アツい人々からは概ね無視するべき雑音として無視されてしまう。酷い時には見下される。 なにより油断していると、普段冷静でいようとする少し熱量が下がり始めた自分自身すら、日々の日常で同じように冷静な警句を無視してアツい方を支持しまう。そして数ヶ月後に「アチャー」とかなる。 特にどうも自分の中にまだ「慣性」が残っているようだ。20頃の発想で自爆することが先週末立て続けに4つあって酷く萎えたのでメモしとく。はぁ。 歳だな。 #2015-04-13 23:24: 文章を若干推敲した

この前の電王戦と少し前の対談録画見た話

少し前の羽生とカスパロフの対談番組を見てなかったので見た。 対談前に羽生とカスパロフがチェスで対戦をした。その対戦の中の一戦で、カスパロフは定石ではない手を打つことで羽生を撹乱する (「力技」の展開と解説されていた気がする)。羽生にとってチェスはネイティブ言語ではないから、この手の撹乱で戦闘能力は大きく削られるだろう。事実この一戦でカスパロフは一勝するしその後の試合でもカスパロフが勝っていたようだ。この時の試合で話題になりやすいのは二戦目だと思うが、今見た時に注目したくなるのは先日の電王戦との絡みで一戦目かもしれない。 この番組の本番はもちろん対談だ。カスパロフの日本語音声が玄田哲章氏である点に違和感は感じつつ、対談は非凡な二人の比較的普通の会話だった気がする。 人工知能の将来についてカスパロフは楽観的で「4:6という状況で4が大事だと考えられるのが人間」とする。個人的には少し食い足りない説明な気がしたが、発展させていくべき議論としては正しい気がした。もし一回の決断をするならコンピュータは6側を選ぶしかないだろうが、人間は評価関数の外から4を選ぶ重要性を認識できるかもしれない。 話は全く変わるが「資本主義の根本的な問題」という視点で、マルクス『資本論』に目をつける向きがあるようだ (ピケティ『21世紀の資本論』ではなく)。佐藤優氏はいくつかの本で「労働の商品化そのものが1つのイデオロギーであり、当たり前の話と捉えてはまずい」と書かれていた。 氏の解説は概ね学者的で高度であり、一二冊齧った私 (それも『資本論』本体は読めてない!)がどうこう言えるものではないが、この種のイデオロギーをひっくり返すのにコンピュータは使えないだろうと。上の対談を見ている時にぼんやりと頭に浮かんだ。 資本の「運動」が当たり前としてプログラムされたら、4:6の6には資本主義が入るだろう (比率は1:9かもしれないんだけど)。ここで、コンピュータは敢えて4を選べるか。私はこの手の社会的議題には疎いのでこれ以上墓穴を掘るのはやめておくけれど、4を選ぶというのはある意味そういうことなのだと思う。コンピュータは幸か不幸か、人が「4だ」と言うとついてこざるを得ない。 ひとつでじゅうぶんですよ ただ、今の人類は4:6で嬉々として6を選ぶので、コンピュータに負ける未来は目に見えて...

すでに東京に戻ってきているのですよ

瑣末なことながら備忘録代わりに。 子どもが生まれた後、少しの間群馬の実家に世話になった。このとき一時的に東京を離れる旨、周りの人にも伝えていた。 その間、仕事の密度こそ減らしていたものの、時々は東京に来ていた。大体は人に会うためだ。会った時にも、少しの間群馬にいる旨話していた気がする。時期ははっきり言わなかった。いつ帰るかは子育てがどの程度首尾よく出来るかで判断したかったからだ。 1ヶ月後、赤ちゃんの一ヶ月検診が無事に終わり、実家の世話になる必要はないように思われた。その他含め、東京に戻っても大丈夫だろうという話し合いをし、群馬から東京へ戻ってきた。以降概ね東京にいる。 自分としてはここで一旦は「群馬滞在」の話は終わったものだと思っていたが、そうではなかった。その後今に至るまでの1〜2ヶ月の間、「また群馬に帰るのですか?」とか「いつ東京に戻ってくるのですか?」と問われることが何度かあったのだ。 友人間の会話であれば、単なる雑談の範囲なので大げさに考える必要はないと思う。ただ、対外的な仕事も関係するような会話の中でこの話題を聞かれると、自分としては「あっ」と思う。自分の仕事体制を周囲に通知するのを怠っていたことを意味している。 瑣末とは言え、この手の話は仕事人としては立派な減点要素になる。従業員のような勤務形態ではなく、仕事を別組織からもらうといったことも一般的な身としては、この程度の言ってみれば「くだらない」混乱で、相手を意味もなく惑わすのはよろしくない。避けられない混乱要素は山のようにあるのだ。 通知していなかっただろうか、と思い考えてみる。例えば次のようなものが思い浮かぶ。 ソーシャルサイトで「行った」「帰った」は書いた「気がする」。ただし「帰った」は様子見が挟まったので多分明示的に書いていない。 またFacebookでは頻繁にアップデートをするが、Twitterで身の上の行動はほぼ書いていない 口頭で言ったり言わなかったりした 明示的に個別メールは滞在場所についての情報を基本的に送っていない ここで、問合せてくれた人が個別にどの情報から「群馬にまだいるかも」と解釈したかが分からなくなった。というのも 群馬に帰った件はソーシャル系と口頭でのみ行われている 聞いてくる人はソーシャル経由で両方見れてもおかしく...